「やるじゃん、アイツら」 

残骸、崩れかけの都庁の展望室でワンは微笑んだ。リアルタイムで発信されるスラムの映像、そこから大体何が起きているかは把握していた。クロたちの奔走や、警備員、エンドウを含め、スラムの人間たちの尽力。そして──。 

「・・・ババァ、お前もそうだよな」 

裏切り、とは思わない。むしろ、安心すらしていた。 

過去の妄執と、今の責任。その天秤で縛り付けられた人間の思想と行動原理は痛いほどに分かった。どちらも自分を形成する上で欠かせないものだ。故に、どちらも捨てられない。どっちつかずではない。どちらにも真剣で実直なのだ。 

「・・・よし、じゃあ最後の仕上げだ」 

巨大なトランクケースを開ける。中の円筒型の構築物はワンの背丈より少し小さいくらいの大きさで、そのフォルムは一見すると可愛らしくすら見えた。しかし、これこそスラムを破壊する弾頭を搭載したロケットなのだ。 

ワンは弾を担ぎ上げると、予め設置した発射機構、砲台へと装填する。ガコリ、ガコリと小気味いい金属音が鳴って、全ての準備は整う。 

後は、引き金を引くだけだ。 

「ほらほら、お前ら、急がないと終わっちまうぜ」 

照準を除きながら、ワンはどこか楽しそうに呟く。眼下に広がる街では、葉脈のような人の流れが見て取れる。それらは全て中心街に向けて進んでいるようだった。おおよそ、騒ぎを嗅ぎつけたのだろう。普段は不干渉を是とするスラムの人間も、特異な熱気に当てられて、らしくもなく群がっている。 

まるで、いつかのセレモニーのような──。 

「・・・」 

崩れかけの展望室で、男は一人その瞬間をじっと待っていた。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

嫌だ。とても、嫌な色だ。 

剥き出しの殺意、恐怖、絶望──。瑞々しい活力に満ちたスラム、極彩色の美しさの中に混じり始める、汚らしい暗色。僕はそれが嫌だ。 

「どうしよう、どうしたら・・・!」 

隣で切迫した様子のシロは、隊列を組んで向かってくる兵士を見てやはり恐怖している。向かってくる明確な死、それは少女にとってこれ以上ないほどに象徴的で残酷に見えているのだろう。 

「・・・しろ」 

「ねえ、ワタル。どうしたらいいかな !?私、どうしたら」 

シロがこちらに縋るような目線を向ける 

「・・・!」 

そこで気が付いた。 

泣きながら、震えながらも、彼女は逃げ出さない。 

滲む恐怖の色は他を塗りつぶす程なのに、それでも彼女は逃げ出さないのだ。 

深い闇のような暗色の中に微かに混じる色が、か細い少女をギリギリのところで支えている。その色の名前を僕は知らない。ただ、泣きたくなるほどに気高く、澄んだ色をしていた。 

「ワタル、わたる !どうしよう──」 

「・・・しろ。だいじょうぶ、だよ。きっと、なんとかなる」 

勿論、嘘だ。ここから事態が好転する見込みなんかありそうもないが、それでも。 

「きっと、なんとかなる」 

この心を、途絶えさせてはいけないと思った。 

──無表情の兵士は行進を続ける。逃げ惑う群衆をじりじりと追い詰めるように歩みを続ける。誰もいなくなった表通り、唯一留まった僕たちの前にまで、彼らは辿り着いた。 

「・・・しろ」 

「ひっ、くっ、わたる・・・」 

ボロボロと涙をこぼすシロの手をぎゅっと握って、せめてもの支えになるように力を込める。 

「・・・かめらは、まわしているの?」 

「ひっ、ひっ、まだぁ、まだ回してないぃぃ、うえぇん・・・」 

警備員さんから貰ったカメラ。それはクロたちの作戦の肝要を担う装置だ。 

起動すれば、きっかり一分間だけワンの放送をジャックすることが出来る。元の予定であれば、その間にクロが世界に向けてメッセージを話す、というものだった。 

「そっか、ならそのままでおうけいだ。──まだその時じゃ、ないみたい」 

「うぇぇ・・・?」 

錯乱したシロがカメラを起動させる可能性は十分にあった。もしそうだったとして咎められるものでは全くない。この状況で逃げていないだけでも誇るべきことなのだから。僕が出来るのは、ただ信じることだけだ。クロは、みんなはきっと来てくれるはずだ。その時のために、今は耐えるのだ。シロが折れないよう、僕自身が逃げ出さないように。 

──しかし、現実はひどく呆気なく、機械的に進む。 

動かない僕たちを敵と認識した兵士たちは流れるような動きで、銃口をこちらに向ける。 

「あ・・、ぁぁ」 

へたり込むシロ、僕は彼女の頭を抱えるようにして腕を回す。シロも僕の腰辺りに腕を回し、とても強い力で抱き着いてくる。 

「・・・そうか」 

ここで、終わりか。 

折角会えたスラムの人たち、その力強く綺麗な心の色をもっと見ていたかった。 

だが、そうか。終わりか。 

「・・・」 

静かに目を瞑る。 

意識を失う、その瞬間に備えた。 

──ポンッ。 

「・・・え?」 

あまりにも間抜けな音で、思わず目を見開く。その予想外は相手にとっても同じだったようで。 

──!?!? 

動揺する兵士たち、そして唖然とする僕たちの間には奇妙な空気が流れた。 

「──あー、よかった。ちゃんと上手くいったみたいだな」 

どこからともなく響く男の声。壊れかけの拡声器に通した嗄れ声は、僕には聞き覚えがなかったけれど、なぜかとても安心する響きを伴なっていた。 

「空砲だよ、馬鹿どもが !」 

──店を破壊し、ボロボロの四輪車が通りへと飛び出してくる。 

古いエンジンを全開させて、武器を失った兵士たちを吹き飛ばしていく。 

「え、え、えんどうさんだぁぁぁぁ」 

シロはさっきまでとは違う、けれど、一段と激しい泣き方で僕の身体を痛いほど抱き締める。 

「うぇぇぇぇ」 

「ぶぁ・・・、し、しろ、ちょっといたいかも、しれないぜ」 

そして、エンドウの車に引き続いて、二台の二輪駆動車が続く。 

「オラオラァ!大丈夫かぁ、シロちゃぁん !!!」 

「へっへ ! !道を開けやがれ !俺たちが通るぜぇ !!」 

「みけ !ちゃとら !」 

咆哮を唸り上げる二台のマシンは、縦横無尽に兵士たちを攪乱し、なぎ倒し、無力化していく。タイヤの焼け焦げる匂いが辺りに充満する。 

「おうおう !大丈夫か、おめぇら」 

茶トラがドリフトしながら僕たちの前に止まる。彼にしては珍しくテンションが上がっているようで、いつもより声のトーンが一つ高かった。 

「うぇぇぇ、茶とらぁぁぁ」 

「ちゃとら、ありがとう、とてもたすかった」 

「いいんだよ、間に合ってよかったぜ。へっへ」 

「そうだ、ちゃとら。くろは?くろはどこに?」 

「ああ、あいつなら警備員さんと一緒だぜぇ」 

「けいびいんさん?それはいったいどうして?」 

「さあな、ただ何か言ってたな。ロケットがどうとか」 

「ろ。ろけっと・・・!」 

凡そ想定していなかった言葉に面食らう。 

「そ、そそ、それって、まずいんじゃないの !?ロケットって !!?」 

「へへ、よくわからねぇが、まあ、ここまで来たら死なばもろともだろぅ !」 

「えええぇぇ・・、そんなぁ」 

再び泣き崩れるシロ、だが僕は何となく直感していた。 

「しろ、しろちゃん。きっとここだ、ぜ」 

「えぇ・・・?」 

「かめらさ !きっと、つかうならそこがいいと、おもうんだ !」 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

風が吹き始めていた。分厚い曇り空は所々に穴が開き、橙色の夕日が地表に降り注いでいた。 

遠くに臨む都庁、その展望室にワンはいるという。 

「どうだい、いけそうか?」 

隣でしゃがむ警備員さんに尋ねる。 

「ええ、問題ありません」 

彼女の右腕は展開し、巨大な銃身が露わになっていた。その向く先は真っすぐ、中心街の上空、そしてワンと自分たちを結んだ直線の先。 

「・・・いいのか?」 

「え?」 

「ああ、いや、ここまで来てこんなことを聞くのは変な話かもしれないけどさ。その、いいのか?ワンの計画をぶっ潰しちまって。だって、ワンはアンタの・・・」 

「・・・好奇心があるのはいいことですが、盗み聞きは褒められたものじゃないですよ」 

「いや、その、すまん。たまたまバァと話してたのが聞こえちまってさ」 

「・・・いいんですよ。むしろ、本当に彼のことを思うなら、こうするのが一番だと思います。ああいう聞き分けのない人は、身体に教え込まないと !」 

「そ、そういうもんか」警備員さんのテンションに少し気圧される。 

「さて、そろそろです。──準備を」 

「ああ」 

警備員さんは座り込んだ姿勢から左ひざを立て、そこに右腕を乗せるようにして砲身を固定した。俺は渡された双眼鏡を覗き、都庁の様子を確認する。発射されてから着弾までは約十数秒ほどらしい。その間に弾頭を撃ち抜き、上空で爆発させる。その捕捉を俺が双眼鏡で行う、手筈なのだが──。 

「・・・」 

冷静に考えると、これ、あまりに無謀じゃないか? 

「・・・無理、と思ってますね?」 

「な !!ま、まさか」 

「ふふ・・・」なぜか笑って、警備員さんは照準から目を外す。 

「!」 

「──大丈夫。任してよ」 

警備員さんはそう言って、殊更子供っぽく笑った。 

「・・・そうか。じゃあ、頼んだぜ」 

「ええ・・!」 

それはどこか少年のような、そんな無邪気な微笑みだった。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

「・・・時間だ」 

男はトリガーに指を掛ける。照準設定は完璧。抜かりはない。 

無論、妨害があることは承知している。 

中空での爆破を目論んでいるであろうことも分かっている。 

分かっている。分かっているならば、避ける為に手は尽くそう。 

本気でやってこそ、意義は生まれるものだろう? 

「──さあ、お前らに止められるかな」 

男は一つ目の引き金を引いた。 

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