「──なるほどなぁ。へっへ、クロ。そりゃ無謀ってもんだぜ」
「茶トラの言う通りだな。馬鹿馬鹿しくてやってらんねぇよ」
「・・・そう、思うか」
タケルを含め、黒猫党のメンバーに件の戦争の件を粗方話した。返ってきた反応は想定通りのもので、改めて大それたことを言ったのだと気が付く。
「・・・クロ。きみは、ふくしゅう、をしたいのかい?」
突然、ワタルが口を開いた。
「ん?・・・ああ、そうだな。俺は復讐をしたい。そのための戦争だ」
「・・・ほんと、かな?」
ワタルは少し不思議そうな顔で首を傾げてから、覗き込むようにクロに尋ねる。
「・・・やっぱ、お前に隠し事は無理かぁ。・・・ああ、実際俺は復讐をしたわけじゃない。それが本心だ」
うんうん、と頷くワタル。そしてそれに異を唱えるのは男二人。
「おうおう、クロ。そりゃおめぇ、つまりは許すってことかい?世界をこんなことにした奴らのことを」
「いや、茶トラ。俺ァはなっから知ってたぜ。どうせそんなこったろうと思ってたよォ!こいつが腰抜けのチキン野郎ってことは、昔からよく知ってたさ!」
ミケと茶トラ、二人は俺と同じくスラムの劣悪な環境下で生まれ育った。幼い頃から刷り込まれた差別意識、外に対する劣等感は強く根付いているだろう。
けど、それは俺だって同じだ。
「いや、お前たちの気持ちもわかる。というより、俺だって怒りを忘れたわけじゃない。それは昔からずっと、今もだ。だがな、こうしていざその怒りをぶつける相手を探してみたら、どうだ?俺たちは俺たちの主張をどこに投げればいい?」
チラリとシロを見る。視線の意図に気づいたかはわからないが、少し眉尻を下げて微笑んだ。
「俺たちの敵は、どこにいる?」
「そりゃあ、世界だろぉ。お前もよく言ってたじゃねえか。俺たちがこんな目に遭っているのは世界の、ひいてはあのテリエルのせいだ、ってよぉ」
「確かにそう言ったよ。だが、それがどうした?」
「・・・はぁ?何言ってんだ、テメェ」ミケが低い声で突っかかる。
「世界って何だ?俺たちだってその一員じゃないのか。テリエルが何かしたか?アレはただ浮いているだけじゃないか。世界を、テリエルを悪者に仕立て上げたのは、俺たちの方だ」
「・・・うぅん」茶トラが難しい顔をする。
「復讐ってのはつまるところ、相手に悪を背負わせて、身勝手に断罪することだ。だが、俺たちにその資格はあるのか?スラムにはその正当性があるのか?悪を背負わせるほど善い人間なのか?」
問いかけに誰も言葉を発さない。それはそうだ。これはとても意地の悪い聞き方だ。一切の悪を持たない人間なんかいないのだから。
「すまん、今のはちょっとズルい言い方だった。悪いことしたことないやつなんて、特に俺たちみたいなやつにいるわけないもんな。──だからさぁ、もういいんじゃないか?」
「あ?どういうことだよ」
「善とか悪とか復讐とか意味とか、そういうの全部なしにしようぜ」
「お、おいおい、そりゃおめぇ、つまり何もしないってことかぁ?この状況を黙って受け入れるってことか?そんなの嫌だぜ、俺ぁ!」
「ははっ、茶トラ。お前がそんなに積極的だとは思わなかったよ。ずっと戦争したいと思ってたのか?」
「ああ、いや、別にそういうわけじゃねぇよ。けどよぉ、一度振り上げた拳を何もしないで下ろすってのは、どうにも性に合わねぇ。そんだけよ。なんて言うか、俺たちらしくねぇ」
「俺たちらしくない、か。そうだ、それは確かにそうだな」
「おい、テメェさっきからなんなんだよ。気持ち悪い言い方しやがって。何が言いてぇんだ?」
「ミケ、お前にしては的を射た意見じゃねえか。──戦争はする。そこは譲れねぇ。さっきはああ言ったが、俺だって怒りはあるし、何より、──そう、俺たちらしくねぇ」茶トラに目を向ける。茶トラは、へへ、と笑って鼻の下を擦った。「変えるのは意味だ。戦争の意味だ」
「意味ィ?」
「復讐の為じゃない。これは独立の為の戦争だ」
独立。これは俺たちの独立戦争だ。
自分たちの劣等感、それを向けるベクトルを変える。実体のない世界なんて枠組みに当てのない怒りを撒き散らすのではなく、劣等感ごと、劣っている自分たちごと自分たちを訴える。攻撃ではなく主張。こんなものは自己暗示に過ぎない。単なる動機の再解釈だ。
だが、それでいい。それで充分だ。
ふと、ワタルを見る。まるで壁画でも見るみたいに視線を中空に恍惚と泳がせていたワタルは、俺の目線に気がつくと、小さな白い手を頬に当てて、むにっと笑った。
曲がりなりにも一応の決意と共に語っていたこともあって、変顔にも似たワタルの笑みを見て、ふっと肩の力が抜けた。
「──とは言っても」俺は伸びをしながら言った。
「言っても?」シロが聞き返す。
「結局、何するかは決めてねぇんだよなぁ」
ズコ、と皆がつまずく音が聞こえた気がした。
「へっへ!それじゃあ、おめえ、何も決まってねぇってことじゃねえか!」
「・・・偉そうなこと言っておいてよぉ。どうせ、そんなこったろうと思ってたよ」
妙な空気の弛緩があって、さてどうしようかと全員が頭を抱え始めた時、声が一つ割って入った。
「それ、私にも手伝わせてくれませんか」
全員が声の方を向く。
入り口のドアの前に立っていたのは警備員さんだった。
「・・・どなた、かな?」
ワタルはコテンと首を傾げた。
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『──では、よろしくお願いしまァす』
定期連絡を終え、バァはため息とともに肩を落とす。別段、何かのトラブルがあったわけではない。損益は芥のような些末な浮き沈みがあった程度に過ぎない。
が、やはり疲れるものは疲れるのだ。年のせい、だけではない。
「辛そうじゃねぇか、ババア。介錯してやろうか?」
「遠慮しとくよ。アンタに介錯なんぞされようもんなら、その時点で地獄行きさね」
いつの間にか後ろにいたワンに、バァは振り返らずに言った。
「そうか?まあ、地獄の沙汰も何とやらだ。行き掛けの駄賃くらいは渡してやるよ。通貨単位はこっちとは違うかもしれないが、まあ価値のあるものだ。認めてくれるだろ」
「・・・笑えないね」
「笑わせるつもりがないからな」
「いい性格してるよ、本当に」
ワンは腕を組んだまま、壁に寄りかったまま微動だにしない。これ見よがしに声をかけられるのを待っているようだった。
「──何か用かい?なら早く言いな。アンタだって暇じゃないだろ」
「流石、目ざといじゃないか。ああ、そうだな、俺も暇じゃない。端的に済ませるとしよう」待っていたと言わんばかりに腕を解き、バァに近づいていく。
「──決行期日が決まった。一週間後だ」
「・・・!!」
「おいおい、なんだよ。もっと喜べよ。さっきみたいに上の顔を伺いながらペコペコする必要もなくなるんだぜ?いいことじゃねぇか」
「・・・どの口が。大勢の人が死ぬのに喜べるわけないだろう」
「はは。でも、そうは言ってもアンタは分かってる。大きなことをするには、大きな犠牲が必要だってことを。だから、俺を止めない。違うか?」
「・・・」
「何だか、これだと俺が悪者みたいだな。老人をいたぶる趣味はないんだが、──よし。じゃあ最終採決を取ろう。アンタに決めさせてやるよ」
「・・・?一体何を──」
ズシリと鉄の重さが、老いた腕にのしかかった。バァの手に握らされているのは、黒いハンドガン。骨の芯まで冷えるような無機質さが、バァの記憶と共鳴して冷や汗が背中を伝った。
「ほら、嫌なら引き金を引け。それだけで終わらせられるぞ」
ワンは銃口を額に当てて、発砲を煽る。
「馬鹿・・・っ!暴発でもしたら!」
「大丈夫だ、生憎こいつは整備したてでね。その可能性は限りなくゼロさ。つまり選択は極めて公平だ。よかったな」
バァは引き金に指をかける。そうだ、ここで撃って仕舞えば。少なくともスラムは今のまま、何も変わることなく生きていける。人死の一人くらいなんだ、揉み消すなんて簡単だ。この作戦だって、幸いなことに誰も知らない。つまり、ここでこの男を殺せば、本当に全てが無になる。
スラムは助かる。
「・・・」
──バァは銃を下ろした。
「・・・闘争時代の人間はリアリストでいい。俺はアンタを尊敬するよ、婆さん」
「・・・とっとと失せな。二度目はないよ」
「ああ、その言葉、そのまま返すよ。では、失礼」
ワンは踵を返して部屋を出ていった。
「・・・化け物め」
額を伝う汗を拭うこともせず、老婆は一人呟いた。