あなたがわからない
──母さんは、そういって僕の足元で泣いた。
彼女の背中からは、悲しみの深い青と、罪悪感の紫が混じって、夜の海のような色が滲んでいた。それはやはりとっても綺麗なものだったのだけれど、そこに巣食う黒色、僕に対する困惑や恐怖だけは、どうしても看過できなかった。
「・・・」
だから、僕は黙って部屋に向かった。蹲る母さんに父さんは手を添える。暗い暗い色は深く、けれどそこに穏やかな橙が一筋加わって光る。あれの名前を僕は知らない。けれど、とっても暖かくて好きな色だ。僕はとてもホッとする。僕がいないことで、ようやく色調は完成した。これがいい。
だから仕方なかった。僕を無理やりにでもその調和の中に引き入れようとしてくる人たち、あの人たちが怪我をしてしまったのは、仕方がないことなんだと思う。
「── !!」
母さんが部屋の前に立つ僕を見て、悲鳴を上げる。どうやら僕は気づかないうちに笑っていたらしい。心のない化け物、なんて言葉が聞こえた気がした。
でも、それって可笑しいことだろうか。美しいものを見たのだから、破顔してしまうのは当然の反応だと思うのだけれど。
「あ」
母さんたちの色に、また黒が混ざり始めるのを見て、僕は慌てて部屋の中へと逃げた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・”・・・・・
「で、お前はなんでここに来たんだ?」
「・・・」
少年は喋らない。目にかかる前髪の中で、黒い瞳はぐるぐると泳いでいる。服は泥に塗れていて、ところどころ木に引っ掛けでもしたのか、ボロボロと破れていた。
「さっきからずっとこんな調子なんだよぉ」
「はっ、めんどくせえ。エンドウにでも引き渡して終わらせようぜ。ぶっ殺されるかもなぁ・・・?中心街のやつら、外の人間嫌ってるもんなぁ?」
ミケは少年に顔を近づけて、嫌な顔で微笑んで脅した。彼も黒猫党のメンバーで、クロとは幼馴染である。だが、驚異的なほどに反りが合わず、クロとはいつもいがみ合っている。
「ミケ !怖がるようなこと、言わないで!」
「えぇ、でもシロちゃぁん。俺ぁ、事実言ってるだけだぜぇ?むしろ、優しいんじゃあないかなぁ?」
「おい、ミケ。やかましいぞ、黙ってろ」
「あぁ?どっちがだよ、クソが」
「へっへ!まあ、お前ら落ち着け。──別に焦ることはねえよ。ここにいりゃ安全だからな。話したくなったら話せばいいさ」
茶トラは二人を宥めながら少年に語り掛ける。しかし、相変わらず反応はなかった。
「おいコラてめぇ!何か言え──あ?」
ミケが再び詰め寄り少年の顔を覗き込む。
そして、彼はそこで面食らった。
「へ、へへ・・」
少年は、にへら、と不格好に笑っていた。
「な、なんで笑ってんだぁ・・?こいつ・・・」
たじろぐミケに、少年はしどろもどろになりながら言う。
「き、きみは、や、やさしいんだ、ね・・・」
「は、はぁぁ!?な、なにを言ってんだテメェは!」
「だ、だって、さっきもそう。きみは、ほんとに思ってないことばっかり、言うでしょ。こわいこと言うけど、ほんとはきみは、みんなのことが好き、なんだね」
一瞬、静寂。
そして──。
「ははははは!!おいおい!バレてんぜ、心優しいミケさんよぉ!!」
「へっへっへ!こいつぁいいな!心優しいミケ、ときたか!」
「うんうん、ミケはそうだよね!私も知ってるよ!」
「う、うるせえぞ!テメェら!!だ、誰が優しいだって!?んな訳あるか !ぶち殺すぞ、アァ!?」当の本人は顔を真っ赤にして吠えていた。
「わかったわかった、いいからそれ以上恥かく前に黙ってろ。──お前、おもしれぇな。それはあれか?外の人間に埋め込まれてる、あの心を読むっつー装置の力か?まあ、何でもいいか。とにかく、俺はお前を気に入った。仲間になれよ」
「・・・?なか、ま?」
「ああ、そうだ。俺の名前はクロだ。お前は?」
クロは手を差し出す。後ろではミケがぎゃあぎゃあと騒いでいるが茶トラとシロがそれを止めている。少年は差し出された手と、クロの顔と、後ろの三人を順番に見てから、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「・・・ワタル。ぼくはワタル、だよ」
「ワタル。そうか、よろしくな」
クロはワタルの手をしっかりと握った。ワタルはそれを不思議そうに見ていた。手の感触を確かめるように何度か握ると、淡く笑って言った。
「クロ・・・、よろしく、ね、クロ」
「ああ、よろしく」
「んん、でも・・・」ワタルは少し暗い顔をする。
「あ、なんだ?」
「ぼく、黒色がきらいなんだ。とてもざんねん」
「・・・ははっ!なんだそりゃ」
怖かった。僕は僕が見えることに嘘を吐きたくない。だから、目の前の光景が、感情が、その純粋で澄んだ色味がとても眩しくて、そのままを口にした。
そういう時はいつも好いことにはならない。手段はそれぞれだが大抵は攻撃が始まる。その心はあまり綺麗ではない。そして、今回もそうなってしまうのかもしれないと、そう思った。
けれど、そうはならなかった。
彼らは僕の異物感すらも、その光度で埋め尽くしてくれた。僕の気味の悪い無色さえも、彼らの色調として組み入れてくれた。別に彼らの何を知っているわけではないけれど、僕にとってはそれだけで、涙が出るほどに嬉しいことだった。
──あの日感じた予感に従ってよかった。
自由を問いかけられた、あの瞬間の直感。こんな僕すらも受け入れてくれるような巨大な色彩を持つ、同い年くらいの少年。
願わくば、こうして最前列で彼を見ていたい、と。
「・・・」
今はただ、それだけを。