目が覚めた。そう、目が覚めたのだ。
つまり、俺は生きている。頭を触っても脳みそはまだ、頭蓋骨の中で浮かんでるみたいだ。
「起きたかい」
「あ?てめぇ、なんでここに?」
気付くと隣にバァが立っていた。加齢で曲がった腰のせいで、バァは立っているのに胡坐で座っている俺と殆ど同じくらいの目線だった。
「こっちが聞きたいよ。なんでアンタはここに来たんだい。警備員が止めたじゃないか」
「・・・別に。理由なんてねぇよ。てめぇの言葉を思い出して、そっからはもう意地張ってただけだ」
「・・・そうかい。これでもね、アタシぁ結構感心してんだよ。意地だろうと何だろうと、アンタみたいなガキが命張るなんてそうそう出来るもんじゃないからね。──情けないねぇ。まだ子供だってのに、そんな選択をさせちまう国が、世界が、それを作ったアタシたち大人が、本当に情けない」
「・・・なんだよそりゃ。また俺たちガキは除け者か?」
「そうじゃない。除け者はアンタたちじゃない。アタシたちさ」
バァはそう言って、枯れ木のような腕を上げた。指差す先を見る。
「・・・なんだこれ」
目の前に広がっていたのは、化け物の唸り声、その大元だった。
──今まで見たこともないほど巨大な、長方形の建物。灰色の壁には窓も装飾もなく、天井から突き出た煙筒からは黒々とした煙が吐き出され続けている。
辺りにはひっきりなしにトラックが行き交い、その荷台には煙と同じく、真っ黒な何かが積まれていた。
「・・・テリエリウム」
ついて出た言葉は、自然と憎しみが籠ったような口調で転がり出た。
東都に浮かぶ天体テリエル、そこから採取される万能な金属。十年前、戦争はそれを巡って起こったのだ。
それが意味するところはつまり──。
「そうさ、あれはそれだ」
「なんで・・・、アンタだって被害者だろ!?戦争も、テリエルも、この世界も、アンタだって憎んでるはずだろ!」
「ああ、そうさ。憎くて憎くて、たまらないよ」
「じゃあ、どうして !こんな、戦争に加担するような真似を・・・」
「除け者にされないためさ」
「・・・!」
「嫌いだろうと、憎んでようと、アタシらは生きなきゃいけないんだ。あんな薄汚れたスラムじゃあね、食べ物も飲み物もろくに作れやしないんだよ。だから何をしててでも、生きる為にアタシらは魂を売るのさ」
「・・・ルールってのは」
「アタシらは、外の人間と接触しちゃいけない。それがお国から課されたルールさ。ホントの除け者にされないように、嫌われ者でいなくちゃいけないんだよ」
「・・・くそ」
眼下では物凄い数の人間が働き続けていた。今までの人生でこんなにもたくさんの人間を見たことがなかった。スラムにはこんなにも人がいたのか。
こんなにも、馬鹿が潜んでいたのか。
「・・・死んだ方がマシだ」
「あ?」
「惨めなまま奴隷みたいに働いて、媚びへつらって頭下げんならよ。俺は死んだ方がマシだ」
「・・・だとさ。アンタはどう思うんだい?化けものさん」
「あ・・・?」
バァは俺の後ろに声をかけた。振り向くと一人、男が立っていた。
「馬鹿か。死んだら恨むことすら出来ねぇだろ。生きてこそだ。復讐には、それが必要だ」
白い髪にやさぐれた出で立ちの男は、少し掠れた声でそう言った。
「誰だよ、アンタ」
「ワンだ。そう呼ばれてる」
工場から排出される黒煙は、空へと高く糸を引くように立ち上っている。蒸気か何かだろうか、火傷しそうなほどに熱い風が吹いて、俺はたまらず目を細めた。
ワンと名乗る男は白髪を靡かせながら、微動だにせず立っている。
「何なんだよ、アンタは」
「いちいち言わなきゃわかんねぇのか、ガキ」
「あぁ!?」
「何でもかんでも、聞きぁ答えがもらえると思うなよ。言葉ごときで何かが分かるほど、世界は簡単じゃねえぞ。──よしんば答えがあったとしても、そう易々と信じるんじゃねえ。教訓だぜ、これは」
「うるせぇ、偉ぶりやがって。急に出てきてから、何をベラベラと高説垂れてやがんだ、てめぇは」
「年上の親切はありがたく受け取っとくもんだと思うがな。なぁ?婆さん」
「はっ、説得力があるねぇ。アンタが言うと」
ワンは自嘲気味に鼻を鳴らして笑った。
「どういうことだ?」
「だから何でもかんでも聞くなって・・・、まあいいか。俺はな、罪人なんだよ。それでこのスラムに匿ってもらってるのさ」
「罪人?この時代、そんなもん、うじゃうじゃいるだろうが」
「はは、違いねぇ。戦争なんざ、イカれた罪人達の雲水行脚だ。人殺しが是になるんだ。百人殺せば英雄ってな。今でこそ、アンドロイドの台頭で直接的な戦死者は減ったが、本質は一緒さ。違うから。持ってないものを持っているから。手を出されたから。そんなもんで人は死ぬんだ」
ワンの言うことに俺は納得がいった。実感はなかった。戦場は見たことないし、戦争は生まれた時からもうそこにあった。何か物凄く掴みどころのない、ただし強大で抗いようのない不条理の権化。それが戦争であり、あの小惑星だった。
「・・・あんたさぁ、一体何したんだ?」
「──起こしたんだよ」
「何を?」
「戦争を」
「は?」
「だから、この戦争を起こしたのは俺なんだよ」
ワンは淡々と言ってのけた。
「もちろん。俺が願ってそうしたわけじゃない。ただ、結果としてはそれが事実だ。──四区にあるデカい建物を見たことあるか?」
「ああ。あの崩れかけの」
昔、戦争で爆撃された時に壊れたと聞いていた。かつては東都を象徴する建物だったと聞いている。
「あれをぶっ壊したのは俺だ。あそこから戦争は始まったんだ」
「・・・」
理屈はわからない。事実を確認する術もない。だが、そう語るワンの顔は少なくとも法螺を吹いているようには見えなかった。言葉で語るよりも雄弁な迫力のような凄みが、ワンからは感じられた。
「・・・そうか」
「案外すんなり受け入れんじゃねぇか。あんま面白い話じゃなかったか?」
「いや、とっても興味深い話だったよ。脳みそが左右入れ替わるかと思ったぜ。だけどな、生憎誰かさんから言われてんだ。簡単に人を信じるなってな。ありがたい話だぜ」
「ったく。可愛くねぇガキだぜ」
ワンは引き攣った笑いを浮かべた。ただそこにはどこか懐かしむ様な、親しみやすい愁いを感じた。そして、それは自分とは無縁のものであることも、また同時に感じた。
「・・・苛つくなぁ」
「あ?」
腹が立つ。もう自分の中でそれが何に起因するのか分からなかった。ただ、沸き上がるものだけは確かに身体の内でのたうつ。病理だった。自らを蝕むそれは病だった。
「いいよ。俺もやってやるよ、復讐。アンタはそれを望んでんだろ?」
「何だ?藪から棒に。一体いつ俺に協力する動機が──」
「自惚れんな。誰が手伝うっつったよ。これは俺のもんだ。俺が決めて、俺がする復讐だ。誰がアンタなんかに与するかよ」
だから思った。これが病だとするならば。
治ることがないのであれば。
いっそ、周りにうつしてしまおう、と。
「戦争だ。俺の、戦争だよ」
「・・・面白え。その威勢がどこまで持つか見ものだな」
「うるせぇ。・・・まあ、そういうわけだ。しばらくは見逃しといてやるよ、ワンさん。志を同じくする徒、としてな」
クロは踵を返してその場を後にする。ワンとバァはその小さな後ろ姿を見つめていた。
「生意気な」
ワンは呟く。その様子を見て、バァは片眉を吊り上げ、ため息を一つ吐いた。
「・・・ま、野暮なことは言いっこなしだね」
癇癪で世界に復讐を誓った少年と、復讐と銘打って癇癪を世界に押し付ける青年。過程や過去は違えども、両者に如何程の差があるだろうか。
「あ?何だババア」
「・・・揃いも揃って。年上を敬うことを知らんのかね?この──」
きっと差などないのだろう。
何故なら、どちらも等しく。
「クソガキ」
お前は自由か──。
檻の内側の化け物は自分に尋ねた。
とても寂しそうに、とても羨ましそうに。
「・・・だい、じょうぶ。きっと、だいじょうぶ」
震える膝をペシリと叩いて叱る。
勇気を出せ。そうさ、今の自分を変えるには、踏み出すしかないじゃないか。
少年はおどおどと、自信なさげに、けれど確かな足取りで一歩前へと進んだ。
──その日、初めて大和国から密出国者が生まれた。