「おら、さっさと帰れ」 

乱暴に車外へと捨てられる。エンドウは踵を返して四区へと帰っていった。 

「クッソ、いてえな」 

腕にぶら下がったテープをはがし、同じように口のも強引に引っぺがす。ブチブチと産毛が抜ける音がした。粗方取り終えてから、アジトへの道を歩き始める。日はもうすっかり落ち切っていた。 

「クロ!クロ!無事だったの!」 

シロの第一声は涙声で、俺はアジトに帰った瞬間、彼女に抱き着かれた。疲れのせいもあってその勢いのまま、俺はへたりと地面に座り込んだ。 

「おう、クロ!おめぇ、大丈夫だったのか」 

「・・・ああ、なんとかな」 

「けっ、俺ァてっきりぶち殺されてるもんだと思ったぜ」 

「・・・」 

「ミケ!そんなこと言わないで!怒るよ!」 

「えぇ、シロちゃぁん、もう既に怒ってなぁい?」 

「怒ってない!いい加減にして!」 

「お、怒ってんじゃぁん」 

「へっへ、まあとりあえず良かったじゃねえか。リーダーのご帰還だぜぇ」 

チャトラは豪気に笑って、俺の背中を叩いた。 

「そうだね!そしたら今日はパーティしましょう!ね、みんな!」 

「ちっ、オメェを祝うのは癪だが、まー、シロちゃんが言うなら仕方ねえな」 

「おうおう、やろうぜぇ」 

「決まり!そしたら私準備してくるね!」シロは俺から離れると立ち上がって、調理場へと向かおうとする。他の二人もそれぞれ準備に取り掛かろうとしていた。 

「・・・なあ」 

声が廃ホテルのエントランスに木霊する。そんなに大きな声を出したつもりはなかったが、やけに大きく響いた。 

「・・・今日はもう疲れた。また明日でもいいか?」 

「なんだぁ、クロ。おめぇらしくもねぇ」 

「テメェ、折角のシロちゃんの厚意を無駄にするってぇのか!?アァ!?」 

「ミケ!うるさい!・・・そうだよね!きっと大変だっただろうし、今日はゆっくり休んだ方がいいよね!うん!」 

「・・・すまん、助かる」 

痛む身体を引き摺りながら、俺は自分の部屋へと戻った。ドアを開けてから殆どノータイムでベッドへと倒れ込む。仰向けになると、無機質な天井で視界が満ちた。 

子供。何も知らない子供。 

いざ突きつけられるとこうまでも情けなくて恥ずかしいことだとは思いもしなかった。何一つ自分で成していない。バァの言葉は、悔しいが全て事実だった。 

忖度されたカーチェイス、あれじゃあ、つまりは餌付けだ。一人じゃ食っていけないが、下らない意地を張るガキに気持ちよく食事を渡すための茶番劇だ。命なんて賭けようがない。きっと事故でも起きようものなら、エンドウが慌てて四区の病院に駆け込むんだろう。その様はありありと目に浮かぶ。 

「・・・下らない」 

「なにが?」 

「・・・っ!シロ、いつからそこに」 

「さあ、いつからでしょう?」 

悪戯に笑うと遠慮なくスタスタと部屋に入ってくる。 

「おい、勝手に入ってくんなよ」頭を書きながら上体を起こす。 

「いいじゃんか、別に」跳ねるようにして俺の隣に腰かけた。反動でベッドがギシリと軋む音がする。 

「・・・なんだよ、何か用か?」 

「別に?用がなかったら来ちゃダメ?そんなルールあったっけ?」 

「・・・ねえよ」少しギクリとした。今の俺はルールとかそういう言葉に敏感だ。 

「じゃあ、いいでしょ」 

言い返す気力もなく、俺はまた背中をベッドに預けた。 

それからしばらくは会話はなかった。シロが軽く身体を跳ねさせて、その度にベッドのスプリングがテンポよく音を立てた。 

「・・・ね、何かあった?」緩やかな沈黙を割いたのはシロだった。 

「・・・そう見えるか?」 

意味のない返事を返した。 

そう見えるからシロは尋ねてきたのだ。 

そう見えるからシロは気を使っているのだ。 

何“が”あった?ではなく、何“か”あったのか、と。そう聞いているのだ。 

「そう見える」 

「そうか。・・・まあ、それならそうなんだろうな」 

「話したくなかったら、それでいいよ。でも、急に誰かとおしゃべりしたくなる時ってあると思うの、特にこういう時はさ。私はそうなんだ。・・・だから、もしそうなったら言ってね。私ならいつでも大丈夫だから」 

「・・・」 

無性に腹が立った。 

わかってる。馬鹿みたいなのはわかっている。誰がどう見たって、こんなのは親切と思いやりの言葉でしかないことなんてわかっているんだ。 

けれど、腹が立った。 

「・・・脱げよ」天井を向いたまま言った。 

「え?」 

「服、全部脱げよ」 

「ちょ、クロ何を──、きゃっ!」 

俺は身体を起こして、シロをベッドに無理やり押し倒した。肩の部分が破れて、白い肌が露わになる。 

「脱げ、脱げよ、ほら。命令だよ、脱げ!全部!全部だよ !!」 

「やめ、やめて!クロ!どうしちゃったの!きゃぁ!」シロは必死に抵抗した。だが、まだ若いとは言えど、男女の力の差は歴然だった。 

「俺がリーダーなんだろ!なぁ!なら黙って俺の言うことを聞けよ!」 

「やめて!!ねえっ、おねがいっ・・!いつものクロはこんなことしないでしょ!」 

「くっ・・、お前に、お前に俺の何が分かるんだよ!!」 

パチン。 

「・・・え」 

右頬に感じた衝撃は、拍子抜けするほどに軽く、柔らかく、そして、とても痛かった。 

押し倒した姿勢のまま、ベッドに突き刺さった腕の中で、シロは泣いていた。 

「・・・シロ」 

「何もわかんないよ!クロのこと、私は何もわかんないよ!でも・・・、だからこそ、知ろうとしてるんじゃない!知らないから知りたいんじゃない!」 

大粒の涙をぼろぼろと流しながら、シロは俺をきっ、と睨みつけていた。小さい体を震わせて、俺を。 

「・・・ごめん」 

腕をシロからどける。安心したのか、シロはさっきよりも大きな声で泣いた。 

俺はベッドの横で呆然と立ち尽くしていた。もう、何もかもどうでもよくなっていた。 

「どうしました!?何があったんですか!」 

警備員さんが焦燥した声と共に部屋に飛び込んできた。俺たちの様子を見て困惑の色を浮かべる。 

「な。何があったんですか、二人とも・・・?」 

誰も答えない。部屋にはシロのすすり泣く声だけが響いていた。 

「・・・ごめん」 

俺はそれだけ言って、部屋から逃げ出した。もうあの空間にはいられないと思った。 

待ちなさい、どこへ行くのですか、と警備員さんの声が背中から聞こえた。聞こえないフリを して走り続けた。 

ただ遠くへ行きたかった。一心不乱に走り続けた。 

「はぁ・・・っ、はぁ・・・っ」 

気づくと目の前には、鬱蒼とした森が広がっていた。そこは西地区への入口だった。 

警備員さんの声がフラッシュバックする。西地区へは入るな。 

遠くで低く野太い、獣の声のようなものが聞こえた。名無しの怪物という文字列が反射のように頭に浮かぶ。 

「・・・」 

迷いはなかった。むしろ進んで入っていった。 

もし本当に怪物がいるのなら、一思いに殺してほしいと、そう思った。 

おまけ程度に張られた“KEEP OUT”のテープを踏み越えて、禁じられた西地区へと侵入する。 

一歩目にあったのは、なんてことない、ただの青々しい雑草の感触だった。 

恐ろしかった。 

クロ、がじゃない。安堵している自分自身に私は恐怖していた。 

拒絶されるのは悲しい。仲間外れは悲しい。悲しいから泣いた。いつだってクロは私を置いていってしまうような気がしていた。けど、そうじゃなかった。クロだって一人だ。やり方なんてわからないのに、私を押し倒した。昔本で見たことの見様見真似で、私を抱こうとした。それってすごく子供だと思う。だから、私はホッとしていた。 

「いけないことかな?それって」 

「・・・私にはわかりません。その人がどうであれ、ただ一緒にいれることが幸せだと、それだけを思います」 

警備員さんは無表情のまま答えたが、それは努めてそうしているように私には見えた。 

「・・・ねぇ、警備員さん。恋ってしたことある?」 

「いえ、ありません。ですが、愛と呼べるものなら知っています」 

「・・・そっか。じゃあどうしようもないね。どっちもお互いが知らないことを抱えてるんだもん」 

「・・・」 

「クロを探しに行くの?」 

「・・・いえ、仕事に戻るだけです」 

「・・・何かしたら」 

「?」 

「もし、クロに何かしたら、許さないからね。殺しちゃうんだから」 

「──なぜ、そのようなことを私に?」 

「勘。恋する乙女のね」 

「なんと。恋とは恐ろしい感情ですね」 

奥へ。奥へ。 

化け物の唸り声はどんどんと大きくなってくる。それは死が近づいていることと同義なんだろう。それで構わない。無心で、無感情で歩みを進めた。 

死にに行っているわけじゃない。死んでもいいと思っている。 

先に進めば進むほど、足元に絡みつく草木は鬱蒼と茂り、まるで行く手を拒んでいるようだった。 

「・・・?」 

ふと、少し遠くに光が見えた。陽は落ちて、辺りは殆ど何も見えない中、橙色の、夕陽の如き輝きが見える。 

「・・・」 

別段、興味を惹かれたわけではない。ただ、他に目指す当てもない。だから、光に向かって足を踏み出した。 

「止まりなさい」 

ガチャリ、と物騒な金属音が鳴る。そして、それと同時に聞き馴染みのある声がする。 

「・・・なるほどな。アンタか、名無しの化け物ってのは」 

「まさか !私がそんな化け物に見えますか?」 

「──少なくとも、人間には見えねえな」 

振り返る。相手と向かい合う。 

突きつけられた銃口は、警備員さんの変形した腕部から伸びていた。 

「アンタ、機械だったのか」 

呆れるように、大袈裟に息を吐きだしながら言った。俺が感じた失望、落胆、つまり親しいと思っていた人間..が、あろうことかアンドロイドと言う戦争の道具そのものであったという、胸糞悪い虚無感を伝えたかった。 

「些末なことです。身体を構成する物質が肉か鉄かの違いでしかないですから。──最も、殺傷能力においてはその限りではありませんが」 

話しながら体が揺れる度、銃口は正確に俺の頭を捉えて外さなかった。 

「・・・殺すのか?俺を」 

「それが仕事です。私は警備員ですから」 

「殊勝なこった。守られてる方もさぞ安心だろうよ」 

「いいえ、そんなことはありません。私は警備員としては三流なのです。現にこうして、貴方をこんなところまで来させてしまった。私は無力です。──今も昔も」 

「?」 

「だから、今更ミスの一つや二つあったところで変わらないのです。──もし、このままここから立ち去るのならば、私は貴方を見逃します。見なかったことにします」 

「・・・嫌だと言ったら?」 

「仕事をします」 

「・・・」 

「選びなさい。死ぬか、生きるか」 

その時、不意にバァの言葉を思い出した。 

──命がけで何かしたこともない奴が、そんな安い言葉を吐くんじゃないよ 

それが理由だった。些細で下らない意地だった。 

けれど、多分きっとそんなものだ。 

俺は警備員さんに背を向け、オレンジ色の光と向き合った。 

「・・・そうですか。私は貴方の判断を尊重します」 

その声はいつもより数段低く、何かどうしようもないほどに冷たい憂いを帯びていた。 

カチャリと照準を狙い直すような音がして、それから次の音で俺の意識は消えることになった。 

バン。 

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