俺たちが盗賊まがいなことをしているのには理由がある。
それはこのスラムのルールのためだ。
弱肉強食、自業自得。それを示す言葉は数あるがとにかく、金がないなら実力行使で、基本的に盗まれる方が悪いというスタンスなのだ。もちろん、俺たちは金がないからこうして盗みを働いている。だが、それ相応のリスクも抱えている。
盗まれる方が悪いなら、捕まる方が悪いのもまた道理だ。どんな制裁をされても文句は言えない。実際それで過去に報復で殺されている奴もいると聞いた。
だから、俺たちは日々命懸けの追いかけっこをしてるわけだ。一応。
「コラァ!待ちやがれぇ!!」
エンドウは相変わらずガタガタのスクラップみたいな車で俺らの後ろを追いかけてくる。
ペコペコ、ペコペコ。空気の抜けたタイヤの音で気も抜ける。
「・・・」
「へっへ!余裕だな !これなら目を瞑ってたって逃げ切れるぜぇ!」
「張り合いがねぇなぁ!クソが!」
チャトラ、ミケは煽るようにエンジンを唸らせた。後部座席にシロはいない。今日はアジトで待機している。
「止まれ!ガキども!」
後ろからエンドウの声がする。遠くもなく、近くもなく、着かず離れずの距離はまるで雛鳥が歩くのを見守る親鳥みたいに思えた。
「・・・ちっ」
程なくして目の前に三叉路が見えてくる。右に曲がれば俺たちのアジトまですぐだ。管轄外だからエンドウも追ってこない。そして左に曲がれば、行き止まり。
「オラ、クロ。てめぇ、何ボーっとしてやがんだ。行くぞ」
「・・・ああ」
ミケの後を追うようにハンドルをゆっくりと右に切る。車体が傾き、重心が寄る。
──その時、エンドウの声が止んだ。
「・・・!」
そこからは無意識だった。身体が勝手に動いた。
「な!クロ、オメェ何を── !?」
「ハァ!?」
気づけば左にハンドルを切っていた。右に行きかけた重心が急旋回して、逆方向へと吹き飛ばされそうになる。歯を食いしばって姿勢を立て直す。
「おいコラ待てや、クソガキ!」
発せられたエンドウの怒号は今までに聞いたことがないトーンで怒気を孕んでいた。
三叉路を左に曲がってひたすら進む。二人はすぐに見えなくなった。
「おい、マジで待てやコラ!」
「はっ・・!アンタ、そんな声出せんのかよ。スピードだって、いつもと比べもんにならねえぜ、おい !」
チャトラたちには言ってなかったが、俺のマシンはあいつらの機体とは馬力が違う。全開にすればいつもやってるみたいなカーチェイスなんかしなくたって、悠々と逃げ切ることが出来る。
だが、それは相手も同じようだった。
タイヤの音は変わらずとも、その回転数が比較にならない。野道と化した元街道を、瓦礫を跳ね飛ばすように向かってくる。
「なんだよ、おい!そんなに走れんなら、なんでいつもはチンタラしてんだ?俺らをなめてんのか?」
「うるせぇ、いいから止まれ!とりあえず他のことはチャラにしてやる。だから止まれ!」
「ふざけんな!情けなんてまっぴらなんだよ!」
言って大きくハンドルを左に切った。辛うじて道の体裁を保っていたところから外れ、雑木林へと突っ込んだ。振動が骨の芯まで響いて、人の手を離れ、存分に育った木々が体中を叩く。フロントライトには緑色の液体がこびりついて、夕暮れの林を照らすには心もとない明りになっている。
メーターを見ると、今までに見たことがないくらいの速度を表示していた。この速度で転倒すればただでは済まないだろう。しかし、俺はハンドルをさらに捻じり上げた。この先は行き止まりかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。弱肉強食、自業自得、言い方はともかく、自分が信じてきたルールとそのコミュニティに所属すらできていなかった。あまつさえ、手心のおままごとをさせられていたと思うと、虚無感に襲われた。
「・・・っぁ!」
突然、身体が浮いた。速度はそのままに空中へと放り出される。前後がひっくり返って、それからすぐに衝撃が背中を叩いた。勢いを止められないまま転がっていく。恐らく実際の時間は十秒もなかっただろうが、ぐちゃぐちゃの平衡感覚と体中に走る絶え間ない痛みは、重々しい苦痛として襲い掛かってきた。がしゃん、という金属音が鳴って、自分が金網フェンスに受け止められたことを理解する。ここはスラムの端っこだ。捨てられた東都と、捨てた大和国を隔てる壁、言うなればここは天国と地獄の境だ。
「・・・大和」
初めて見る光景だった。皆が皆、綺麗な服を着て、和気あいあいとした和やかさに包まれている。舗装された道、崩れていない高層ビル。スラムと形こそ似てはいるが、本質は似ても似つかない生きた町だった。
「・・・!」
近くを歩いていた人間が何人かこちらに気が付いたようだった。ざわめきが波のように広がっていった。好機や嫌悪がその顔から見て取れる。だが、その大半は薄気味悪いような表情だった。得体のしれないものをみるような、そんな顔をしていた。
「・・・なんなんだクソ」
そんな群衆の中、一人の少年が目についた。同い年くらいだろうか。真っすぐに俺を見つめている。その顔は周りの人間と大差ないような、何の変哲もない顔をしていた。
──だが、その瞳の色が妙に引っかかった。色彩と言う意味ではなく、その気色ということだ。
「おい!」
俺は叫んだ。群衆が一際どよめく。少年は当事者を探すように辺りを見回した。自分がそうであることなど信じていないようだった。何だか無性に腹が立った。
「おい!お前だよ、お前。・・・そうだよ、そこのお前だ」
少年を指さす。お前に話しているんだ、と逃げ道を塞ぐように伝えた。
「おい、お前は自由か?」
答えはなかった。少年のみならず、周りの群衆も同じようにじっとこちらを見るだけだった。
「ちっ、このガキ、やりやがったな」
背中から声が飛んでくる。やっとこさ追いついたエンドウだった。俺の頬をバチンと平手打ちすると引き摺るようにしてフェンスから離れていった。どんどんと大和が遠のいていく。少年は最後まで俺を見ていた。
「・・・なあ、俺ぁこれからどうなるんだ?」
「あ?・・・知らん。ばあちゃんが決める」
「はっ、結局バァ頼みかよ。情けねえ大人だな」
「うるせえな、着くまでにぶち殺してやろうか?」
ズルズルと引き摺られながら、俺はエンドウに聞いた。近くで聞くエンドウの声は、いつもよりずっと低く、重く聞こえた。
「なぁ」
「あ?」
「俺たちは惨めかな」
「・・・」
それから俺たちは何も話さなかった。