──D&T社は世界有数の軍事企業だ。
かつての世界大戦では主に戦闘機やミサイル、そうした火器の管制システムを提供して、財を成した。
それはつまるところ、戦争に積極的に加担しているということに他ならない。そういった職業柄、当然ながら、戦災被害者から恨みを買うことも多く、復讐の対象として据えられることも少なくはない。
「な、なんだよ!そんなこと、別に珍しくもないだろ!」
エメリーはトーマスと共に殆ど駆け足で渡り廊下を進む。ケビンも二人の少し後ろを離れずに着いてくる。
「いえ、今回は少し様子が違うようで」
「どう言うこと?」
「どうやら、内部で手引きをした人間がいるようです」
「!!」
「大方、お世継ぎである貴方を殺すという目的で結託でもしたのでしょう。旦那様は敵が多いですから。もしかすると旦那様の方にも、敵は向かっているかもしれません」
「な、なんだよ、それ」
「とにかく今は逃げましょう。いつ、ここも──」
──轟音。地響きと共に何かが爆発するような音がして、その後すぐに怒号と叫びが遠くで響いた。天井からパラパラと埃が落ちてくる。
「う、ぁ」
「さあ!急いで!!」
三人は走り出していた。銃声や破裂音があちこちでする。それは屋敷の外でも、中からもしていた。
「・・・っ!!」
エメリーは絶句した。大広間を見下ろせる窓から、今起きている惨状をはっきりと目にした。
──使用人同士が殺し合っている。見知った顔が、見知った顔の人間を憎悪の表情で容赦なく襲う。大理石の床に散らばった血は、何だかペイズリー柄のように見えた。
「うわっ!?」
一際大きな爆発があって、エメリーは我に帰る。すぐさまトーマスの後を追った。
「どこ行くのさ!」
「工房です。一旦、あそこで身を隠しましょう。あの部屋への入り方は私しか知りませんから」
「・・・わかった」
やがて三人はエメリーの部屋へと辿り着く。トーマスは迷わず扉に手をかけた。
「・・・!」
嫌な予感がした。開けてはいけない。
なぜか直感的にそう思った。
「ちょっと待っ──」
エメリーの静止とほぼ同じタイミングで、扉は開かれる。
──ダン。
ただ、それだけ。
たったそれだけの音が鳴った。
「・・・・」
トーマスはまるでドミノのように、一切の抵抗なく後ろに倒れていった。老いて痩せた肉体は、拍子抜けするほどに軽い音を立てて、カーペットの上へと転がった。
しかし、エメリーにとっては天地がひっくり返ったような不協和音が頭蓋の中で響いていた。
「え・・、と、トーマス・・?」
堪らず声をかける。
応答はない。
物言わぬトーマスに、エメリーは力なく、よろよろと近づいていく。
「・・・!」
ケビンがそれを止めた。腕をつかみ、ぐいと扉から引き離す。
「ケビン・・!何を── !」
「ダメです。貴方もああなりたいですか」
顎の先で横たわるトーマスを指す。エメリーはきっ、と睨みを利かせたが、すぐに息を呑み、目を瞑って首を横に振った。
トーマスの頭部は、至近距離で散弾銃による銃撃を浴びたことで、殆どが欠損していて、もはやその身体を見ただけでは誰のものか判別できないほどだった。
誰がどう見たって、死んでいるのは明らかだった。
「ケビン・・」涙ながらに言う。
「静かに。まだ気づかれていないかもしれない」
二人は少しずつ、音を立てないように細心の注意を払いながら後ずさりする。これ以上何も起きずに、ここから離脱することが、現状喫緊の課題だった。
「───。─── !!」
しかし、それは徒労に終わる。
よくわからない外国の言葉で何かを叫んだと思うと、エメリーの部屋から黒い服に身を包んだ人間が数人、ゾロゾロと溢れるように出てきた。
「── !!─── !!」
ズラリと並んだ銃口が、一斉に向けられる。
「うぅ、ぁぁ」
「ちっ・・!」
ケビンが抱きかかえるようにして、エメリーに覆いかぶさる。
次の瞬間、耳が千切れそうな破裂音と共に銃弾の雨が、二人を襲った。
「け、ケビン!」ケビンの腕の中で、エメリーは叫ぶ。
「大丈夫です。私は頑丈にできていますので」
「なんで、何で僕を庇うんだ!」
「・・・」
「勝手に君に心を与えて、勝手に君を苦しめたんだぞ?君は望んでなんかいないのに!!」
「・・・何か勘違いをされているようですが」
「え?」
「私には今まで雇用主(クライアント)は沢山いましたが、主人(マスター)と呼べる人はあなた一人です」
「・・・!」
「もちろん、私が苦しんだことは消えません。背負ってしまった業を恨みもします。憎みもします。──けれど、楽しかったこともまた、私のメモリーは全て記憶しています」
「ケビン・・・」
「今は全て貴方を守るために、私は動きましょう」
「う、うん!」
「では、しっかりつかまっていてください」
背中で銃弾を弾きながら、腕の中のエメリーにケビンは微笑む。エメリーは胸部にがっしりとしがみつくと、攻撃が止んだタイミングでケビンは一気に駆けだした。
──アンドロイドの性能は基本的に経年劣化することはない。メンテナンスさえ行っていれば、いつでもどこでもハイパフォーマンスを発揮することが出来る。執事としての業務をこなしていたケビンだが、その機動力に衰えはなかった。
戦闘用アンドロイドC-004は、かつて戦場を闊歩したのと全く同じ速度で、今度は小さな主人を守るために全力で駆け抜けた。
廊下を、食堂を、混沌とした大広間を、到底、人では追いつけないスピードで走り去っていく。恐らく統率を取れる人間がいないからだろうか、敵兵に戦闘用のアンドロイドはいなかった。だからこそ成功した奇襲だとも言えるが、それは今の二人にとって好都合だった。
「・・・っ!」
ケビンは航空機による脱出を狙っていた。しかし、滑走路はすでに占領された後だった。
エメリーのSPたちの死体が、セスナの下で積み重なっているのが見えた。
「── !!!─── !!」
敵兵の一人がエメリーを発見し、何かを叫ぶ。すると、また、一斉に銃口が向けられる。
「この・・・っ、見境なしか・・・っ!」
ケビンは咄嗟に右腕の兵装を展開する。慣れ親しんだ感覚に安心感すら覚えた。
──眼前の敵数、十八体。最警戒対象、六体。
戦闘用オプティマイザが、効率的な殺戮法を瞬時に弾き出す。右腕は射撃体勢に入った敵の動脈に完璧に照準を定めた。
──私は人を殺し過ぎた。
「・・っ!くそっ!!」
腕を跳ね上げるようにして照準を外す。後ろのエメリーの位置を確認し、自らを遮蔽物にして射線を切る。
引き金が引けない。あんなに簡単に落とせたトリガーが、今は重くて重くて仕方がない。
「ケビン!!」
「っ!!」
一斉掃射が始まる。再び、背中で弾丸を受ける。
「大丈夫かい!ケビン!」
「ええ、心配なさらず」
ケビンは轟音の中でも、あくまで気丈に笑って見せた。
だがしかし、限界が近いことは自分でも相手から見ても明らかだった。
いくら頑丈な装甲とは言え、全ての弾丸を受け切ることを想定して作られているわけではない。むしろ、ケビンの外骨格は素早い動きのために軽量化を施されており、耐久性に重きは置いていない。
──そして、ケビンは弾丸を受けるという経験があまりにも少なかった。
撃たせずに撃つ。攻撃させずに殺す。
それを繰り返してきたケビンは、自身のボディの耐久値を正確に把握できていなかった。
「── !!な、に・・?」
嫌な音がした。“破損”のアラートが疑似脳内で鳴り響く。
目線を、落とす。
左脇腹の辺りに、一発だけ。ほんの小指ほどの穴。
「あ、ああ」
機械の身体を抜け出した弾丸は、エメリーの左目を貫通し、左側頭部をぐちゃぐちゃに破壊していた。
「え、えめっ、えめっ、りー」
「あー、あ、あーーうぅぅーー」
エメリーの残った右目は虚ろで、口から出ている声はもはや言葉ではなかった。ケビンの腕の中で胎児のように蹲り、何かを掴むように小さく手足を動かしてもがいていた。
「あー、あ、ぁ」
──呆気なく。末期の言葉など残す間もなく。エメリーはあっという間に死んだ。
「・・・あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
壊れたラジオのように、意味のない声がこぼれる。一本調子で抑揚のない声は、バグでクラッシュを起こしたかのように見えた。
「──。── !!」
目標を達成した兵士たちは、やはり訳のわからない言語で作戦の完了と、勝利の喜びをお互いに称え合っていた。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、ぁぁぁぁ・・・」
──ゆっくりと、アンドロイドは少年の亡骸を地面に寝かせた。
大事そうに、母親が赤子をベッドに寝かせるように、丁重に扱った。
「──開始」
詳細な報告は必要なかった。一体、何を、誰と、どう開始するのか。それを伝える必要はなかった。伝えるべき相手はもういない。ならば、これは自分自身に対する号砲だった。
展開した右腕、加えて脚部側面のバルカン砲、肩部の多連装ロケットランチャー、他にも全身に搭載した武装が一気に露わになる。
──照準が、全ての命を捕捉する。
「死ね」
一切の躊躇いなく、アンドロイドはその全てを敵に向けて発射した。
防弾アーマーやヘルメットを装着した黒い兵士たちは、一瞬のうちに肉塊と化していく。反撃の隙などなかった。どう考えても過剰な火力が容赦なく戦場を蹂躙する。
視界に映った人間が死滅するまで、五分とかからなかった。
「──終了」
展開した武装をしまう。
ケビンは一人、血と臓物の散らばった滑走路で立ち尽くす。
立ち込める死臭など嘘のように、雲一つない青空が広がっていた。上を見上げていれば、平和で平凡な昼下がりにすら思えた。
「・・・」
恐ろしいほど、簡単に引き金が引けた。
いや、引けたのではない。自らの意思で率先して、引き金を引いたのだ。
主人にモノ申してまで訴えた苦しさ、殺人への嫌悪。それら一切が嘘のように消える、圧倒的な復讐の殺意。他人を殺してでも成就させんとする感情の濁流。
「・・・私は、人間になった」
ケビンはエメリーに近づく。
横たわる小さな背中に腕を回して抱き上げると、欠けた頭蓋骨の隙間から、薄紫色の脳みそがびちゃりと零れた。
「・・・エメリー」
──すっかり変わってしまった、とケビンは思った。
美しい碧い眼は片方は潰れ、残った左目も光のないガラス玉のようだった。白い肌も体液で汚れていて、微かな体温も加速度的に失われていっているのがありありと感じられた。もう、これはただの死体でしかなかった。
ケビンはエメリーを抱えながら、屋敷の階段を上る。少年の部屋まで辿り着くと、壁の操作盤を動かして、工房への入口を開ける。工房の中は時が止まったようにいつものままだった。
「・・・」
ケビンはいつもの位置に少年を寝かせると、子供部屋の入口で転がっていた、トーマスだったものの残骸も同じように抱え、少年の隣に寝かせた。その横に自分も寝転がる。
「ケビン !ケビン !!」
「ほっほっほ。聞こえていますよ。ねえ?ケビン様」
目を瞑れば、鮮明に声が浮かんでくる。
次の瞬間、全てが夢だったことにならないだろうか。そんな無様な願望も、客観的な演算処理がすぐに否定する。
血を見た。肉を見た。死を見た。
全てが、現実だ。
「・・・いやだよ、もう」
目を開けたくない。
もう、何かが変わっていくのは、何かを失うのはごめんだ。
このまま、終わらせてしまおう。そう思った。
右腕を一部だけ換装する。小型の拳銃は戦場では心もとないが、自分の電源を落とすのには十分だった。銃口をこめかみに押し当てる。大脳の中心部、自分の全部を担ったCPUを狙って。
「・・・さよなら」
──引き金を引く刹那、不意に映像が疑似脳内で流れる。
「・・・!?」
街、男、子供たち──。目まぐるしく回る映像はそれだけでは断片的で理解することなど出来そうもない。しかし、それはケビンにとって問題ではなかった。
映像はあくまで表層でしかない。もっと深く、底の部分、言うなれば魂と呼べるような領域でケビンは理解した。
自分の心が、どこで生まれたのかを理解した。
「──ワン、兄ちゃん・・?」
──誰もいない部屋で、機械仕掛けの人間が微かに呟いた。