始まりは他愛もない会話からだった。これでもかというくらい晴れていて、澄んだ青い空の日のことだった。 

野暮用とやらでトーマスが席を外し、ケビンとエメリーは二人で裏庭にいた。 

「エメリー、一つ質問してもいいですか?」 

「どうしたんだい?ケビン」 

「・・・その、エメリーは夢を見ますか?」 

「夢?」 

「はい、夢です。眠る時に見るあの」 

「そりゃあ見るけど・・・、それがどうかしたのかい?」 

「・・・最近、私もよく見るのです。夢を」 

「え?君が夢を?」 

エメリーは驚いた。 

それもそのはず、アンドロイドは夢を見ないというのが定説だからだ。一般的に市販されているアンドロイドは感情機能が搭載されているとはいえ、それはあくまで人間を模して作られた心のレプリカでしかない。 

記憶だって所詮メモリーに焼かれたデータでしかないし、一見、感情が発露したように見える振る舞いだって、ビッグデータから割り出された「反応の平均値」を的確になぞっているだけに過ぎない。百人中九十人が泣いたという映画を見れば、アンドロイド達は確実に泣く。泣くというポーズをとる。羊の夢は見ないのだ。 

「そうです。夢の中で私は雨の降る中にいて、何かをしているのです。何をしているかはわかりません。わからないというより、思い出せないのです。そして、気がつくと私の周りには沢山の人が立っているのです。彼ら──、そう、彼らです。彼らは私より遥かに大きな背丈で私を見下ろしているのです。私は怖くて怖くて、逃げようとしたのです。ですが、何故か身動きが取れませんでした」 

「・・・っ」 

ケビンは淡々と情景を陳列するように述べていった。 

エメリーは途中で気が付く。ケビンが一体何を言っているのか、何を見ていたのか。 

それに、気が付いてしまった。 

──記憶転移。臓器移植などをした際に提供者の記憶や人格が移植先の人間に受け継がれる現象のことだ。名称を知らずとも、エメリーはそれが起きていることを直感した。 

アンドロイドの心、その中核を担う物質であるテリエリウムという金属は、人間の感情を記憶し、感情に反応するという性質を持っている。通常、アンドロイドの心を製作する際には、テリエリウムに先述した感情のビッグデータをインストールする。そうすることで、まるで心を持ったかのようなAI、ひいてはアンドロイドが完成する。 

しかし、データをインストールする過程において、とあることをすると正真正銘、人間の心そのものを写しとることができる。 

それは、自殺した十歳以下の子供の小脳、それをかき混ぜ液体状にしたものに三日三晩浸す、という方法だ。 

苦しみ抜いて死んだ子供の脳内では特殊な物質が分泌され、それがテリエリウムと接触することで通常とは異なった反応を引き起こす。 

もちろん、非合法のやり方だ。しかし、裏で流通する数は年々増していっている。 

趣味の悪い金持ちが、大金を払ってまで欲しがるからだ。 

そして、ケビンの中に入っているのも、その一つだった。 

「──その後はよく覚えていません。ただ痛くて、怖くて、そこから逃げ出せるなら何でもいい、と。そう思ったことだけが、ただ──」 

ケビンはそう言って、黙り込んだ。その先を口にすることが苦しいのか、顔を歪めて俯いていた。エメリーはケビンとは違う理由で俯き、口をつぐんでいた。そのまま、十分近く二人は何も話さなかった。 

「・・・ケビン」沈黙を破ったのはエメリーだった。陰鬱な声で、一言一言を噛み締めるように話し始めた。 

「・・・はい」 

「実は、君に言わなければいけないことがあるんだ」 

エメリーはゆっくりと、けれど濁さずに話し始めた。 

何も言わない選択肢も、彼にはもちろんあった。むしろ、言わないままでいられるのならば、きっと何も起こらなかった。自分の中で抱えて、割り切って、今まで通り変わらず接することは出来た。そして、それは多分最も平和な方法でもあった。 

しかし、黙っていられるほどにエメリーは狡くも賢くもなかった。 

ケビンは割って入ることもせず、ただただエメリーの話を聞いた。俯き加減の表情は陰に隠れて見えない。エメリーもケビンの顔を見ることが出来ず、お互いに地面を見つめながら話は進んだ。 

「・・・ごめんよ。黙っていて」 

「・・・」 

全てを聞き届けたケビンはやはり何も言わず、俯いている。エメリーはひたすら、ケビンの言葉を待った。これ以上、自分が何かを言うことはないと、言えることもないと感じていた。 

「・・・どうして。どうしてそれを今、言ったのでしょう」 

長い静寂をケビンの言葉は重々しく裂いた。 

「・・・それは」 

「私は望んでなんかいなかった。一度でも、たった一度でも。自分からこんなものを欲しがったことはあったでしょうか?」 

「そ、そんな言い方── !」 

「夢を」ケビンは震える声でエメリーの言葉を強引に遮る。 

「!」 

「先程言ったものとは、違う夢を見るのです。もう一つの夢は私自身の過去です。確かに私が触れて、感じたことの夢なのです」 

「・・・」 

「まだ心などなかった頃、私が花を摘むように殺してきた人たち。彼ら彼女らの怨嗟の声が纏わりついて離れないのです」 

「・・・まだ、兵器だった頃の記憶?」 

「・・・はい。正確には記録ですが──、事あるごとに蘇っては私を苦しめ続けています」今もそうです、とケビンは細い声で付け加える。 

「でも・・・!記録なら消せるだろ!そんなもの、消してしまえばいい!」 

エメリーの言葉に、ケビンは眉を顰める。 

「・・・貴方がっ、それを言うのですか。──いえ、何でもありません。消したくても消せません。相手兵を殺したというキルログは戦争において重要な情報です。記憶媒体の奥深く、私のCPUと共に蓄えられています。そういう設計なんです」 

会話が途切れる。今度はエメリーが黙っている番だった。 

「・・・感情とは行動のエンジンです。かつてならば単なるデータと切り捨てていた映像記録が、感情によって、心によって記憶に変わってしまった。そして、杭のように私の胸に突き刺さった罪悪感と、不必要なほどに優秀なメモリーが、全てを忘れて目を背けることを許してくれないのです。──私は人を殺し過ぎた。その上、私が私である為の心さえ誰かの命の犠牲の上にあるのでしょう。顔も知らない幼児の命の残骸で、私は存在している。そんなこと、あってはいけない。あってはいけないと、今の私には思えてしまうのです」 

嘘のように静かで穏やかな昼下がりの陽気が、ありえないほどに冷え切った二人を残酷なほどに浮かび上がらせた。 

「お願いです。私を戻してください。心なんてないままでいられた、あの頃の私に戻してください」 

「・・・知らないよ、そんなの」エメリーが言った。それはどこか諦めているかような、そんな声色だった。 

「・・・?」 

「そんなの、知らないよ。知ったこっちゃないんだよ・・・!どうでもいいんだよ・・・ !どこの誰が死んでいたって、苦しんでいたって、関係ないじゃないか。だって、僕は何も知らないし、見ていないんだから!」 

「・・・知らないから、それで許されると?」 

「ああ !だってそうだろ?知りもしないものを悲しんだり、見たこともないものを哀れんだり、そんなことできやしないんだ!君に殺された人たちも、君の心を作るために死んだ子供のことも、僕は知らない!」 

「・・・」 

「・・・可哀そうだとは思う。良くないことだとも思う。けど、それだけだ。僕は心から本当の意味で、彼らに同情することが出来ない」 

「・・・何て身勝手な」ケビンはそう吐き捨てる。 

「でも、しょうがないじゃないか。僕たちはどうしたって、誰かを傷つけてしまうんだろ。それなら僕は、僕が見て、触れて、聞いて、知って、確かに感じたことを一番に生きていたい」 

「・・・その結果、誰かを殺してでも、ですか」 

「うん、結果的にそうなったとしても」 

「・・・そうですか」 

納得の相槌で会話は終わった。しかしそれは当然、言葉通りというわけではない。そこにあるのは不理解でしかなかった。通じ合えない、という思いだけが何の変哲もないような昼下がりの裏庭にこびりついていた。 

「・・・人間とは、こうも自分勝手な生き物なんですね」 

ぽつりと、ケビンは呟いた。 

──突然、地響きと共に何かが爆発するような音が響いた。 

「!?」 

「な、なんだ?」 

「坊ちゃん!!坊ちゃん!!」 

「・・・トーマス?」 

今まで見たことがないほどに焦燥の表情を浮かべ、トーマスはエメリーに走り寄ってきた。いつも口を酸っぱくして踏むなとエメリーに注意して芝生も、お構いなしに踏みつけ、真っすぐエメリーの元に走ってきた。 

「坊ちゃま・・!ここにいらしたのですね・・・!」 

「ど、どうしたんだよ!そんなに焦って、お前らしくもない」 

「少々、厄介なことが起こりまして・・・!」 

「?」 

トーマスは息を整えると、エメリーの肩を掴む。普段よりも荒々しい手つきに、エメリーは動揺した。焦燥を悟られまいと、努めて平静な顔をしてトーマスは言った。 

「──襲撃です。貴方の命が狙われています」