私は心というものを知らない。
喜びや悲しみ、美しさを解する感性もまた、私とは縁遠いものだ。あるのは殺意、それと指令遂行に際する達成感。それだけだ。
「ひっ・・!化け物め・・!!」
迷彩服の兵士は腰を抜かした状態で、まるで蜘蛛のように手足をバタつかせながら逃げようとする。その度に体中につけた装備がガチャガチャと音を立てる。
じわりと追い詰めるように男の後を追う女。
その右手の銃口は一撃で致命傷となる動脈に照準を定めた。次の瞬間、男が何をしようとも確実に殺せる。
「生身(フレッシュ)・・・、まだ前線にいたんですね」
「・・・!お前、自立思考タイプか・・・!」
「ええ、それが何か」
戦争が始まってから十年と四ヶ月と四日。現実で発生する戦闘行為の九十五パーセント以上は既に機械兵に代替した。
しかし、未だにこうして時代遅れのロートルが最前線に放り込まれることがある。
日く、機械が人を超えることなどないという、原理主義者たちの一存によるものらしいが、 ひどく非合理的だ。そんな骨董品のようなハリウッドムービーの三流脚本を本気で信じているとは俄かには信じ難いが、事実、こうして生身の人間が戦闘に参加している。
だからと言ってこちら側に何か不都合があるわけではない。むしろそれは指令を達成する難易度が下がるというメリットですらある。その時点で、人間の思考が合理性において劣っていることの証左になっているはずなのだが、どうやらそういうことではないらしい。
──さて、感情とはそうまで御し難いものだろうか?
「それなら、心があるはずだよな!?なあ、頼むよ!見逃してくれないか・・・!」
「・・・?それはどうして?」
「故郷に一人娘がいるんだ!妻は病気で死んじまったから、俺がいないとアイツは一人ぼっちになっちまう・・・!だから、なあ、頼むよ・・・!」
「答えになってません。それが何故、貴方を殺さない理由になるんですか?」
「だから娘が──」
「ジョシュ=ホールベン。三十二歳。男性。相国在住、同国の陸軍所属」
「!!」
「相国のデータベースに侵入しました。貴方の生体痕跡(ライフログ)は全て閲覧することができます。その上で聞きます。──一体何故存在しない貴方の娘が、私の殺しを止める理由になるのでしょうか?」
「・・・クソッッ!!」
銃声が響く。小指ほどの鉛玉は的確に男の大動脈を打ち抜き、男の寿命を決定づけた。
「・・・」
潰れたカエルのように地面に仰向けで倒れた男を見て、戦闘用アンドロイドC-004は右腕の銃身を腕部ユニットに格納した。五本指のついた手に戻った右腕を、数回握って動作確認を終える。
そして、次のターゲットに向けて踵を返して歩き出す。
「ぐっ、がぁぁぁっ・・・!」
「!!」
絶命したと思っていた男が血痰を吐き出す。アンドロイドは再び腕部を展開し、巨大な銃身を露にする。少し早足で男へと接近していく。
「存外しぶといんですね。見誤っていました。データを改めなければ」
次弾を装填し、銃口を男の頭に押し当てる。
絶命は必至。次はない。
「なんで・・・、なんでなんだ!」
「何がですか?」
「何でお前たちは、そんな簡単に人を殺せる !?」
「・・・」
「心があるのなら・・・っ!脳味噌でものを考えてるなら・・・っ!なんでこんなにあっけなく──」
二発目の弾丸は完全に男の脳幹を貫き、即死させた。
「・・・」
遠くで戦闘の音は続いている。大気で攪拌されてボヤけた爆音や銃声が、別世界のものに聞こえた。アンドロイドの周りは凪いだような静寂が生まれた。
「・・・もし、人を殺すことが悩ましいことなのだとすれば、私はきっと人ではないんでしょう」
言い残して、戦闘用の機械兵は再び殺戮の方向へと歩いていった。
D&T(ダニーアンドトラビス)社は世界有数の軍事企業だ。
かつての世界大戦では主に戦闘機やミサイル、そうした火器の管制システムを提供して、財を成した。平時は旅客機や宇宙開発に関する分野での技術提供において、他社と一線を画していたのだが、テリエリウムの有効性にいち早く気づき、それを製品に反映させた第一人者も、このD&Tだった。
CEOであるダニエル=カーベルグは、当時まだ効能も不明で、あくまで観賞用として競売にかけられたテリエリウムを二千万ドルで落札、技術開発部門に解析と加工を一任した。
テリエリウムとは、今から約二十年前、東洋の島国の首都に突然出現した小惑星、テリエルから採取できる金属の名称である。
その後、研究によってテリエリウムの性質が公式解明、発表されると、即座に人間に似た自立思考の可能な清掃用アンドロイドを発売した。スーパーの買い物かごに車輪がついたようなデザインのそれは、最初こそ批判を集めたものの、これは後ほど”lebシリーズ”と呼ばれる人型アンドロイドの原型となる。
そのあまりの商品展開の速さには、政府や諸研究機関との金銭的癒着が囁かれるほどだった。だが、これは偏にダニエルの商才、そして先端技術に対する嗅覚によるものであり、彼の視座が他の凡百の経営者たちの追随を許さないほどに、頭一つ抜けて高い場所にあったというだけに他ならない。
「でも、僕は嫌いだ!」ブロンドの短髪を揺らしながら少年は言う。
「それは何故でしょう?坊ちゃん」いかにも執事然とした格好の老人が、あしらうように言う。
「だって、人を殺してしまうんだもの!僕はよくないと思う!」
「ほっほっほ、坊ちゃんは賢いですね」
「坊ちゃんって言うな!」
二人の乗った自社製のプライベートジェットは音速に近い速度で航空を続けている。しかし、座席に備え付けられたホルダーのグラスは時が止まったように静止している。注がれたオレンジジュースの水面も、穏やかな湖面のようだった。
「これは失礼いたしました。ご無礼をお許しくださいませ、エメリー=カーベルグ様」
エメリーと向かい合うように座っているのはトーマスという名の執事(スチュワード)だ。エメリーが幼い頃に母を亡くしてから、ずっと彼につきっきりで身の回りの世話をしている。仕事で各地を飛び回り、ろくに会いに来ないエメリーの父、ダニエルのこと考えると、一人で両親の代わりをしていると言っても過言ではない。
「それもいやだ!」
「では、何とお呼びすれば?」
「ボスだ!ボスがいい!」
「しかし、私めの主人、──ボスは貴方のお父様でございます」
「ぐうぅ・・・」
ぶすっと、しかめっ面をしたエメリーの背後、シートベルトの着用を促す赤いランプが点灯した。
「おや、どうやら着陸のようです。シートベルトをお閉めくださいませ、坊っちゃん」
「坊っちゃんはやめろ!!」
年季の入った笑い声と、若々しい駄々と共に、小型のジェット機は下降を始める。なだらかな曲線を描きながら社用の空港へと無事着陸、エメリーとトーマスは十時間ぶりに地面に降り立った。地面に足が触れるや否や、屈強な黒服の男たちがすぐさま集まってくる。身辺警護のためだ。
「おい!お前ら邪魔だぞ!どっかいけ!」エメリーは地団太を踏みながら、スーツの男をポカポカと叩いた。殴られた男は困ったように頭を掻いている。
「どこにだって着いてきやがって!僕だって一人で歩けるんだ!最近また数が増えたぞ!」
「こら、坊ちゃん。彼らは貴方を守ってくださっているのですよ」
「知ってるよぉ!でも・・・!だからってさぁ !!」
「しばしご辛抱くださいませ。最近は何かと物騒ですから、念には念を押してです。・・・あまり良くない噂も聞きますし」
「よくない噂?」
「ええ、杞憂だとは思いますが──、それはとにかくです。あまりわがままを言って、皆さまにご迷惑をかけるものではありませんよ、坊ちゃん」
「うぅぅぅ、わかったよぉ」
「偉いですよ。後で美味しいミルクティを淹れて差し上げましょう」
「ホントに!?やった!」
一転、ご機嫌になった様子のエメリーは、執事と頑強な男たちを引き連れながら滑走路を駆け抜け、その先の絢爛極まる豪邸へと入っていった。滑走路も含めて、ここら一帯は全てD&T社、もといダニエル=カーベルグの私有地である。
入口ではメイドが主人の子息の帰還を歓迎する。それを気にも留めず、エメリーは正面玄関の大階段をガゼルのように上って自分の部屋へと一目散に向かう。トーマスはエメリーを諫めたが聞く耳を持たない彼を見て、呆れたように顎髭を撫でると、諦めてエメリーの後を追った。
「トーマス!トーマス!!」エメリーは、自室のベッドで飛び跳ねながら興奮した様子で言う。
「はい、何でしょう」
「あれは!あれはどうなってる?早く見たいな!」
「ほっほっほ。あれは焦らずとも逃げませんよ。今は電源を落としてあるのですから。まずは落ち着いて、お茶を飲みましょう」
「やだ!」
「ほう、ではミルクティはいりませんか?」
「いる!」
「ですが・・・」
「どっちもいる!飲みながら見る!」
「・・・仕方ない。では、“工房”の方に持ってこさせましょう」
「やった!!ありがとう、トーマス」
「・・・いえいえ」
ドア横に立っていたトーマスは、部屋の電気をつけるスイッチの横にある操作盤をいじる。すると、部屋の壁の一面が二つに割れるようにして開き、その奥の空間が段々と露わになる。ゴシックスタイルの子供部屋とは対照的に、無骨で建築用資材が剝き出しになったような、航空機の格納庫を思わせるような巨大な空間が広がっていた。
工業用の油と何かが焦げたような匂いがつんと鼻を刺す。エメリーはこの匂いが好きだった。やがて壁の動きが完全に止まると、真っ白の作業灯が“工房”を照らした。
奥行も高さも三十メートルはありそうな空間には、所狭しと様々な機械や器具──セスナのような小型飛行機や型落ちの古臭い自動車、お喋り機能の付いた犬型ロボットなんてものもあった──が並んでいる。これらは全てエメリーの私物であり、おもちゃであり宝物だ。
「行こう!!トーマスも早く!!」
「そんなに走ったら危ないですよ!」
「平気平気!!さあ早くぅ!!」
「・・・はぁ、全く。仕方のない人だ」
工房には二つの足音が反響する。軽い方は細かく早く、重い方は大きくゆっくりと。やがて、二つの音は時間差でピタリと止む。
「・・・いかがでしょう?坊ちゃん?」
「すごくいい!とっても!とっても・・・」
──二人の前にあるガラスケース、その中で無数の導線によって吊るされているのは、アンドロイド。それも単なるアンドロイドではない。対人戦闘用にカスタマイズされた機体、つまりは人殺しのために製作された機械人形だ。
「ねえ、トーマス」
「何でしょう?」
「もう起こすことって出来るの?」
「ええ、すでに殺害機能(キルモード)はオフにしてありますので」
「やった!」
「ただ──」
「ただ?」
「ただ、坊ちゃんの望むようには動かないかと思われます」
「そんなの!やってみなくちゃわからないじゃないか!」
「・・・忠告はいたしました」
「起こして!彼をおこして!」
「かしこまりました」
トーマスは頷くと、ケースの下に備え付けられたスイッチを押した。
──意識が覚醒してゆく感覚がある。
そう言うと聞こえはいいが、つまるところソフトウェアの起動シーケンスが立ち上がっていると言うに過ぎない。
CPU、次にビジョン、オーディオ、そしてボディの接続確認。それぞれ異常なし。──腕部、脚部の動作不良を確認。外的要因であることを確認。物理的に拘束されているものと推測──。
ものの数秒ではあるがこうした順序を経て、十全な活動態勢が整う。瞼を開けて、ピントを合わせる。周囲の状況を確認する。
「・・・」
ここはどこだ。確か、前回の戦闘で空爆に巻き込まれて機能不全になったはずなのだが。
「ねえ!目が開いたよ!!目が開いた!!」少年が言う。
「ええ、そうですね」老人が答える。
起動したての疑似脳は、すぐさまガラスケース越しに自分を見つめる二人の人間を認知した。
「・・・あなたたちは誰ですか」アンドロイドは尋ねた。
「喋ったよ !トーマス!!」
「そうですね、喋りました」
少年は何やら興奮気味に話していて、質問など耳に入っていないようだった。もう一人の男は、そもそもこちらにあまり興味がないように見える。
だが、どちらにも敵意はなさそうだった。
「・・・あなたたちは誰ですか」再度尋ねる。
「ほら、坊ちゃん。聞かれていますよ」
「あ、そうだ!そうだね!そうだったよ!」
金髪の少年はガラスケースに手を添えて、満面の笑顔でこう言った。
「初めまして!僕の執事になってよ!」