全てはつつがなく進んでいた。

 着々とセレモニーに向けた準備は進み、ワンの計画もまた順調に進行していた。

 テリエル周辺に仕掛けられた爆弾の数は千を超え、その全ての照準は上空の小惑星に向けられていた。ワンの持つ携帯から着信が入ると一斉に起爆する仕組みになっている。爆弾自体は見えづらいようにカモフラージュされているとはいえ、上空から一瞥するだけで全ての細工が看破されかねない脆弱性を抱えている。始まりからして、大胆で大規模で大雑把な計画であることは変わりない。しかし、そんなリスクは承知の上だった。そもそもが負け戦、無謀で向こう見ずな作戦なのだ。

──何かを差し出さなければ、何も得られない。

自分が捨て駒であろうことなど、ワンはとうに理解していた。世界人口の約20%を占める華那国の国民の中で、ワンだけが唯一、諜報員としての適性を示すことなど有り得るわけがない。候補などそれこそ掃いて捨てるほどにいるだろう。だが、そんなことなど問題ではなかった。

これは復讐であり、そして、それ以上にワンにとって、この作戦を成し遂げることが大義となっていた。これから行われる破壊行為は、救出なのだと。彼はそう思っていた。

「・・・いよいよだ」

 ベッドと机と、最低限の家電しかない部屋、東都に来てからの約三年間を過ごした部屋でワンは一人、天井に向けて呟く。感情が荒ぶる前に、彼はゆっくりと静かに眠りについた。何の夢も見なかった。目を覚ます頃には、爛々と朝日がどこまでも続くような青い空で輝いていた。ワンはその様子を見て、東都に来てから初めて深い呼吸をした気がした。

 ──十五年ぶりに東都は解放された。

 異様な光景に思えた。

 ワンにとって、東都とは死んだ街でしかなかった。荒廃した時の様子しか知らないのだから無理もないが、それにしてもやはり面食らう光景が彼の眼前には広がっていた。

 都庁を中心として、人がまるで大河のように流れを作って道路を埋め尽くしている。ビルや家屋はまだ立ち入り禁止ではあるものの、近くの広場や公園には露店が出ていて、作業の時、嫌というほど嗅いでいた薬品と土埃の匂いは嘘のように消えていた。

「おう、面食らっているみたいだな、ワン」

マエダは横から揶揄うような調子で言う。

何も答えず、ワンは歩き出す。持ち場に向かうためだ。セレモニー当日は誘導スタッフとして、馬鹿みたいに押し寄せる人波を道路や広場に押しとどめる仕事を割り振られていた。

「なんでこんなに人がいるんだ?確か抽選で選ばれた奴しか来れないんじゃなかったか?」人々の圧に気圧されながら、ワンは不満を零す。

「さあ?選ばれた人間がこれだけいたってだけの話だろ」隣で飄々としているマエダは当然のように言った。

「にしたって、これは異常だろう。おかしいよ、絶対に」

「そんなことないだろ。祭りってやつはこんなもんじゃないか?」

「・・・そうなのか」

「あっちじゃなかったのか?こういう大きなイベントみたいなのは」

「なかったな。特に俺のいた地域は特にそういう催し事とは縁遠い場所だった」

「そうなのか。じゃあ、これが初めてってわけだな?めでたいじゃないか!」

「いや、そんなことは──」

「おい、さっきから何ブツブツ言ってんだ」

 会話に割り込んでくるように、静かな怒号と感情のシグナルが頭と耳、それぞれに飛び込んでくる。声の主は等間隔で並んで立っている、ワンと同じく誘導スタッフとして駆り出されている同僚だ。同じ職場という関係上発生する最低限の世間話を交わす程度の間柄でしかない。

「・・・すまん」

「なあ、大丈夫か?体調悪いなら休んでろ」

「いや、問題ない」

「ならしっかりやれ」

 ワンはそれきり黙って仕事に集中した。怒りや苛立ちはなかった。

三年、いやそれ以前から続く因縁に決着が着くと思うと、彼の心は氷のように澄んでいた。今ならきっと、急に殴り掛かられたって笑って見過ごせる気がしている程だった。

「怒られちまったな」マエダが言う。

「誰のせいだと」ワンは呆れたように返す。

「何だ、その言い方。俺か?俺のせいだって言うのか?」

「違うよ」

「そういう言い方だったろ」

「いや、そんなつもりはない」

「嘘つけよ、俺は分かってるんだぜ」

「悪かった、悪かったよ」

「本当に思ってるか?」

「ああ、思ってる」

「・・・ホントらしいな」

「ああ、ホントだよ」

「ならいい」

 会話が途切れる。

喧噪が二人の沈黙を埋めた。

「・・・今日でようやく終わるんだな」マエダは感慨深そうに言った。

「・・・そうだな。きっと、そうなる」ワンはか細い声で頷く。

「お前はよく頑張ったよ。一人でずっと大変だったな」

「ありがとう。・・・ありがとう」

 周囲からの怪訝な目線など、気にもならなかった。

終わる。今日で、終わるのだ。

 ──都庁前、人でごった返す広場の端っこでワンは一人、青空のように晴れやかに笑った。

 無数に並んだモニターは、全て黒い球体を映し出していた。その前に座る初老の男は顎を撫でながらしたり顔でそれらを見つめている。その中の一つにはワンの姿もあった。

「いよいよですね」

 椅子の隣に立つグレーのスーツを着た男が、落ち着いた低い声で言った。

「ああ、長かったような、短かったような・・・、とにかく感慨深いことに変わりはない」

「珍しい。あなたにしては感傷的だ」

「当然だ!これは我々が日頃行っているような陳腐で下らない権謀術数とは訳が違う。世界を相手取った喧嘩だ!私が育てた種が、気味の悪い建前で繋がった、所謂“国際社会”とやらを混沌の渦にぶち込むんだ。心が躍らないわけがないだろうに!」

 初老の男は興奮を抑えきれない様子で、大袈裟な手ぶりをつけながら語った。

「混沌、ですか。これから何が起きるのです?」

「さて、どうなるだろうな。ただ、どういう過程を歩むことになるかは、大体わかる。東都は再び封鎖、民間人を巻き込んだテロリズムによってテリエリウムという物質を疑問視する声が各地で噴出するだろう。輸出にも制限がかけられ価格は高騰する。しかし、今や我々はあの金属なしでは生きていけない。急進派の国々ではあれをインフラにまで利用しているほどだ。テリエリウムの耐久性はどれくらいだ?」

「人体やアンドロイドに使用する場合はおよそ五十年、それ以外の用途で使用した場合は──、五年ほどです」

「五年、そう五年だ。たったのな。十分の一だ。全く、奇妙な話だ。まるで人に使われるために存在しているような物質だと思わんか?」

「?」

「まあ、それはいい。ともかく、テリエリウムの流通量が減ると、世界の諸工業分野は巨大な損害を被ることになる。みな、喉から手が出るほどにあれを欲しがっているからな。もちろん、それは我が国も例外ではないが」

「なるほど」

「そして、テリエリウムに依存した国は反対派の声を封殺して、数少ない資源を奪い合うことになる。国際関係は悪化、場合によっては──」

「戦争、ですか」

 戦争、その二文字を聞いて男はニタリと笑った。

「どこまで行くかはわからないが、少なくとも、今の退屈な世界が変わることは間違いないだろうな。──ああ、楽しみだ」

「しかし、これでは我々が糾弾されるのでは?」

「というと?」

「つまり、この作戦──」

「テロだ」

「失礼。テロが実行されたとして、その実行犯であるワンはきっと捕らえられます。情報が洩れる可能性は十分にあるかと思いますが」

「それは心配ない。もしそうなる時は、証拠は消えるように細工してある」

「消える?」

「ああ、跡形もなくな。デバイスを取り出そうと、メスが入ったら──、そこでドカンだ」

「・・・そうですか。けれど、既に身元は割れています」

「そうだな」

「いかがなさるおつもりで?」

「さあ?知らないな」

「知らない?」

「ああ、我々は彼のことなど何も知らない。貧民街に住む、顔も名前も知らない青年が、勝手に引き起こした事件なんだよ。むしろ、我々は被害者だ」

「・・・そういうことですか」

「そういうことだ。我々は国際世論に同調し、反乱分子である貧民街の徹底的な排除を以て、自分たちの身の潔白を証明するという算段だ」

 深く、ゆっくりと息を吐きだしながら、初老の男は背中の倍はあろうかという背もたれに寄りかかる。

「それにしても、皮肉だとは思わないか?」

「何がです?」

「祖国からもその存在を認められず、素性の知れないテロリストの実行犯、彼がone(ワン)と呼ばれていたなんて!」

「・・・」

 肩を振るわせて男は笑う。モニターの薄明かりが、暗い部屋を青白く照らしていた。

「さあ、そろそろだ」