「それがチョウだ」
仏頂面で繰り返される、全く同じ文言。しかし、どちらもワンの脳は受け付けなかった。記号として理解していても、感情が事実の許容を徹底的に拒んだ。
「・・・は、はは。あ・・?なんだって?いま、なんて言った?」
「それがチョウだ」
あまりにも無慈悲に、無感情に繰り返される。
「・・・いや、そんなわけ」
ワンは力なく机に突っ伏す。眩暈と吐き気で座る姿勢すら保っていられなかった。
息の仕方が分からず、酸欠で視界がぐんと狭まる。
確証はない。確証はない。
しかし、それがチョウのものである、という思考のフィルターを通して見ると、机の上に転がっている、小さく赤黒い肉塊の持つディテールが鮮明に浮かび上がる。
爪を噛む癖をやめろと叱っても、なかなかやめず深爪になってしまっていた。
熱湯の入ったお湯がかかった時の火傷跡、第二関節の内側にあるそれは、知らなければ気づかないくらい小さなものだ。ワンとチョウだけが知っている。
そして何よりも、本能が。
抗うべくもない本能的な衝動が、理性による現実逃避を粉々に打ち砕いた。
「確たる証拠が欲しいか?見せてやろう」
男はビシャリと机に紙の束を叩きつける。ワンは見ることを拒んだ。しかし、男はワンの顔を掴み、瞼を開けさせ、無理やり視界に情報を入れ込んでくる。
「何が聞きたい?何でも答えてやろう。死因か?死亡時刻か?生憎、彼が何を思って死んでいったのかはわからない。が、それ以外ならば答えて見せよう」
「ぉおぉえぇぇ・・・!」
ワンは嘔吐した。そこに書かれていたのは、詳細な記録。
どうして、どうやって、チョウが死んだか。チョウがどうやって、ただの肉塊と化したのか。過程が写真と共に書かれていた。
いや、死んだのではない。資料を少し見ただけのワンも即座に理解した。
──殺されたのだ。チョウは。
「そう、殺されたのだよ、あの幼子は。無残に、凄惨に、残酷に殺されたのだ」
「・・・はぁ、はぁ」
「力で敵うはずもない大人に殴られ、嬲られ、凌辱の限りを尽くされたのだ」
「・・・やめろっ・・」
「助けを乞いながら、泣き叫びながら、チョウは殺された!!」
「黙れっ!!!」顔をあげる。
「さて、では本題だ」男は真っすぐ、ワンの目を覗き込む。
「・・・!」
「お前は、復讐したいか?人でなしのろくでなしの人殺し共に、復讐をしたいか?」
男の目は狂気に満ちていた。ワンを確実に堕とすため、チョウの死というカードを提示する最も効果的なタイミングを、今か今かと狙っていたのだ。これは脅迫であり恫喝だ。ワンの中にある子供たちへの愛、それを道具として利用した卑劣な行為だ。
「全ての元凶たるテリエルを、甘い蜜を啜り続けている害虫どもを、お前は許せるのか?」
「おれは・・・」
しかし、目論見は成功した。今やワンの中にある絶望と怒り、渦巻く黒々とした感情は、男の狂気を塗りつぶすほどだった。
「俺は、絶対に許さない」
その時、ワンの心から初めて子供たちの存在が消えた。