「えー、と言うわけで東都解放記念セレモニーまであと一ヶ月を切りました!みなさん、くれぐれも安全に気を付けながら、本番に向けて頑張っていきましょう!」
糸目で中肉中背の男は、毎度同じ決まり文句で朝の挨拶を結ぶ。代わり映えはしないし退屈だが、そもそも朝礼なんて元より楽しむものでもなし、むしろパターン化している方がルーティンワークとしての精度は高いように思える。
少し広めの会議室にきつめに詰められた職員たちは、ゆっくりと空気が抜けるようにぞろぞろと部屋から出ていく。波に揺られるように、流れに身を任せるがまま足を進めていると、後ろから肩を叩かれる。
「おっす」
「ああ」
軽く横を向き、目線を少し落とす。
丁寧に整えられた黒髪の下、見上げる瞳と視線がかち合う。
「相変わらず、陰気な顔してるな。飯食ったか?」
マエダ、という男はそう言ってから、顔をくしゃりと歪めて笑う。初めて出会ったからずっとこんな感じの男だ。誰にでも気さくに明るく接する。
少し、鬱陶しい。
「いや、食べていない」
「また?よくぶっ倒れねえもんだな。あっちじゃそれが普通なの?」
「そんなことはない。みんな普通に朝食は食べる」
「へー、じゃ、ワンがおかしいってことだな」
マエダはまた破顔して、ワンの背中を叩く。
程なくして、二人は人の熱でむせ返る会議室から脱出した。
「ったく。めんどくせえなぁ。いくら俺らが公僕だからって、こんなにこき使うかね。これなら訳のわかんない書類をカタカタ作ってたほうがマシに思えるよ」
「・・・そうか」
「お前もそう思うだろ?最近やってることと言えば、瓦礫の処理とゴミ拾いだ!」
「・・・そうだな」
「・・・相変わらず起きてんだか寝てんだかって反応だな。ま、今日も頑張りましょうか。お互いに」
「ああ」
「そんじゃまた」
スタスタと歩いていくマエダの背中をワンは少しだけ見つめてから、すぐに逆方向へと歩き出す。その目には以前のような生気はなく、代わりに仄暗い決意のようなものが妖しく輝いていた。
──ワンは今、ある島国の首都にいた。
雨の降る貧民街に現れたスーツの二人組は、チョウの情報を渡す交換条件として、ワンの身体を要求してきた。遠回しな表現だが要するに、ワンを華那国政府の諜報員としてこき使いたい、ということであった。
「君はとても優秀だ。家族でもないものの為に自分の命すら投げうつという覚悟を持っている。今日日、そんな人間は本当に珍しい。心というものが図式化してしまうと、我々にもかつてあって、今はもう失くしてしまった無思考ゆえの純粋さなのだろうが・・・、それは、とても使える」
黒いスーツの男はワンをジロジロと舐めまわすように見る。
「・・・それで、チョウはどこにいるんだ」
落ち着きを取り戻したワンが尋ねる。語気こそ反抗的だが、従順に男たちの少し後ろを着いていく。どこも縛られていないし、繋がれてもいない。逃げ出さないことを見越されているのだ。前を歩く男の顔が時折そういう笑い方で自分を見る度、ワンは男を殴りたい衝動に駆られた。
「まあ、そう焦るな。急いたところでいいことなんて何もない。まずは黙って着いてきたまえ」
それっきり会話は途切れた。黙ったまま数分歩くと貧民街の出口が見えてくる。
「・・・!」
そこには男のスーツと同じく真っ黒な車が停められていた。まるで誰かに乗られるのを今か今かと待つように黒い光沢を輝かせている。男たちは一直線に、車へと向かっている。ワンは少しだけ心が浮つくのを感じた。
彼は今まで車に乗ったことがなかった。
「そうか、君は車に乗るのは初めてか」
「!?」心の中を言い当てられ、ワンは目を見開く。
「驚くことではないだろう。ここの連中が文明に触れていないことなど、誰が見たってわかる。使うまでもない」
「・・・?」
「ああ、それについても後ほど話そう。乗りたまえ」
ワンは男たちに指示されるまま車に乗り込む。それを確認してから、男たちはそれぞれ前の席へと座る。そして、車は出発した。
「・・・ぉぉ」
窓の外の景色は、物凄いスピードで流れていく。人も地面も目で追うことが出来ず、現れては消えを延々と繰り返した。座席から伝わってくる揺れも、独特な皮の匂いも、ワンにとっては何もかもが新鮮だった。
「・・・ここまでとはね」
男の呟きもワンには聞こえていなかった。彼の心中にあるのはただ、子供たちにもこれを体験させてあげたいという気持ちだけだった。
しばらくして、男たちは車を止めて外に出る。ワンもそれに倣う。
「・・・なんだ、ここ」
ワンの人生において類を見ないほど大きな建物。白みがかった石造りの外観はどこかの国の神殿のようで、入口へと続く階段は横に広く、奥に長く、まるで巨人のために造られたかのように思えるほどだった。
「さて、行こうか」
呆気に取られるままに男たちに着いていく。大小様々なドアが無数にある廊下を抜け、上がって下がってを繰り返し、最終的に辿り着いたのは拍子抜けするほど小さく暗い部屋だった。あるものと言えば、灰色の机と椅子が二つあるだけだった。
「ようこそ、我々の仕事場へ」男とワンは向かい合って座る。
「随分とみすぼらしいところだな」
「見かけだけでは本質はわからないものだよ」
男の言葉にワンはムッとする。
お前らだって馬鹿にしたじゃないか。貧民街の人間を見かけで決めつけて。
「おお、痛いところを突かれたな。許してくれたまえ。あれは発作のようなものでね。貧民街だけは、どうしても相容れないのだ」
「!!」
まただ。男はワンの思考を完全に読んでいる。ワンは自分が感情が顔に出やすいという自覚はある。しかし、これは明らかに読心術の範疇を超えていた。
「なあ、さっきから何なんだ。どうして俺の考えていることがわかる?」
「そうだな、ではまずこの話から始めよう」
そう言うと、男は机の上に黒い石のようなものを転がした。
「これは?」
「金属だよ」
「金属?」
「そうだ」
「金属がどうしたんだ」
「これが答えだ」
「あー、さっぱりわからん」
「今から説明するところだからな。少し黙っていろ」
ジロリと睨まれて、ワンは気圧される。
「よろしい。この金属はテリエリウムと言って、今世界中で最も需要のある物質だ」
「テリエリウム・・・」
「君は小惑星の話を知っているか?」
「ああ、“天人星”のことだろ。そりゃあ、知ってる」
“天人星”とは、今から十五年ほど前、東洋の島国に突然出現した小惑星のことだ。
巨大な地震と共に現れ、落ちることもなく、飛び去ることもなく、現在もずっと首都上空で停滞を続けているという謎の物体。情報から隔絶された貧民街にも、このニュースは伝わっていた。
「そうだ。あれの正式名称は“テリエル”という」
「テリエル・・・」
「そしてこれはその欠片だ」
「!」
ワンはテーブルの上の一見、石ころにしか見えない塊に目を向ける。テラテラとした金属光沢が、何だか途端に不気味に思えた。
「この金属はある特異な性質を持っている。それがこの物質が世界で求められる理由であり、唯一無二である理由だ」
「性質?」
男が指先でからり、と黒い石ころを転がす。
「この金属は“心を記憶”する」
「心、を記憶・・・?」
「正確には、心や感情に呼応して多様な反応を起こす、といった方がいいかもしれない。つまるところ、この金属は文字通り心を形にすることが出来るのだ」
「・・・なるほど。それで俺の心を」
「理解が早くて助かるよ。私の頭の中に入っている小型デバイスが、他者の思考を読み取ってくれる」
「外の人間はみんな、そんなもんを頭に入れてんのか?」
「ああ、この十年で普及率は九十パーセントを超えた。だが市販のものは機能制限がかかっている。無条件に他者の思考を読み取れるのは政府用を使用している我々だけだ」
「・・・」
「そして、ワン。君を諜報員として徴用・・・、もとい登用したい理由もそこだ」
「ん?」訝しむワンを咳払いで遮って、男は続ける。
「気にするな。言い間違いだよ。・・・ともかく、テリエリウムという金属は使用期間が長ければ長いほど、個人の深層心理にまでシンクロしていく。三ヶ月もつけていれば、ほぼ隠し事は出来ないレベルにまで成長する。丸裸だ。これでは諜報活動などとてもできやしない。かと言って、デバイスをつけていない人間は真っ先に疑われる。読まれたくない理由があるのではないか、と勘繰られるからな。未着用の罰則こそないが、他国の中枢に入り込むのは難しいだろう。今やスパイ防止法は形骸化したルールでしかないが、それは古臭い決まりなどなくとも、テリエリウム=デバイスがあればお互いに嘘はつけないからに過ぎない。諜報の難度は遥かに跳ね上がった。そこでワン、君が役に立つ。導入手術に拒否反応を起こさずに潜入の可能な年齢かつ、デバイスを入れておらず、加えて──」
「戸籍データがない」
「・・・その通り。まだ他にも幾つかの条件はあるのだが。まあ、それはいいだろう。今更語ることに意味はない」
「?」
「諸々の可能性を考慮した上で、我々は君が一番適しているという結論に至った」
「・・・そうか」ワンは浅く顎を引く。
「おや、やけに素直じゃないか」
「別に俺だって考えなしじゃない。あんたらが説明するなら聞くさ」俺の街を馬鹿にしたのは許してねぇけどな、とワンは付け加えるように毒を吐いた。
「ほう、我々は君を誤解していたようだ。案外思慮深いじゃないか、あの街の人間も」
「てめぇ・・!!」ワンは椅子から勢いよく立ち上がる。すると、部屋の外で待機していたのか、スーツの男たちが二人ドアから押し入ってくる。初老の男はそれを手を挙げて制する。
「おっと、すまない。口癖なんだよ、皮肉っぽいのはな。今のは本心だ」覗いてくれたってかまわないよ、と付け加える。
「・・・ちっ」どしりと音を立てて、ワンは椅子に座る。それを見て男たちは出ていった。
「さて・・・、ここからが本題だが──」
「やらねぇよ」ワンは男の言葉に被せるように言う。
言葉尻を二度も遮られ、男の眉尻が少し吊り上がる。
「・・・それはどうして?」
「ガキ共が待ってるからな。俺がいなきゃ、あいつらは食いっぱぐれちまう。あの街の奴らはお節介焼きで優しいとはいえ、あんな大所帯の面倒見てくれるほどの余裕はねえからな」
「チョウのことはいいのかね?」
「ああ、アンタらの話ぶりを見る限り、急を要するってわけじゃなさそうだ。もし、今チョウがまずい状況なら、こんなところにわざわざ呼んで話なんかしないだろ?なら、大丈夫だ。俺はチョウを信じている。あいつはしっかり者だからな」
「・・・なるほど、確かに言う通りだ。チョウは今、危機的状況にいるというわけではない」
「だろ。それが分かっただけで安心だ。俺はてっきり誘拐されたりとか、川に流されたんじゃないかと思ってたからな」
「・・・」
男は黙ったままだった。ワンは立ち上がって、ドアへと向かう。
「そういうことだから、そろそろ帰らせてくれ。今日も仕事をしなきゃいけないんだ」
貴重な話ありがとう、とワンは最後に言った。皮肉っぽい言い方ではあったが、それは本心だった。男に対する嫌悪感は確かにあれど、害意のない人間に悪戯に当たり散らす程、荒んではいない。
カラン、と音が鳴る。机の上でテリエリウムの欠片が転がった音だ。
「・・・?」
別段、変わった音ではなかった。が、なぜかワンはそれが気になって振り返った。
陰鬱な男の背中、そしてその向こう側に見える黒い塊、だったもの。
──あれ、あの石ころ、あんな尖ってたか?
幼児の拳のようだった金属は、箸のような鋭い形に変わっていた。
「いいだろう。ここまで話を聞いてくれただけでも感謝する」
男はすうっと立ち上がりワンに向き合う。まるで影が立体的に浮き上がってきたように見えた。嫌な悪寒がワンの背中に走る。
「その印と言ってはなんだが、我々が持っているチョウの情報を君にあげよう」
「ほ、ホントか!!?」
「ああ、本当だとも」
男は初めて穏やかに笑った。ワンは部屋をぐるりと回ってもう一度席に着く。
「聞かせてくれ!あいつは今どこにいる?」
男は徐にポケットの中をまさぐると、机の上に何かを転がした。
「・・・?なんだ、これ」
赤黒く棒状のそれは、一見、木の枝のように見えた。
しかし手に取ると、最初のイメージとは少し違う感触がする。石をゴムで包んだような、奇妙な感触。くるくると回しながら見ていると、表面に細かい模様が入っていることに気が付く。顔に近づけて、目を凝らしてじっくりと見る。
「──ぅわっ!!」
思わず机にそれを投げ出す。ほとんど生理的反射だった。
手触り、模様、大きさ、形状、色々な情報が頭の中で線として繋がる。
これは枝なんかじゃない。これは──。
「──指、か・・・?」
指。人間の指。血の通っていない、冷えて固まった肉片。
理解すればするほど、胸の裏側に気持ち悪さが溜まってくる。
「なあ、これが何の関係があんだよ」
「それがチョウだ」
「・・・・・・・は?」